宝島ひとり〜80年代〜90年代日本ロックバンド図鑑

主に80年代〜90年代に活躍した国内ロックバンドを紹介しています・・・
※現在、コメント・トラックバックは受け付けておりません
 メールは、右下段・メールフォームよりお願いします
This is a blog that introduces the rock bands of Japan from the 80's to the 90's.
※Sorry,I can't accept a comment and a trackback.
 If you are going to send an e-mail me,please use
a mail form below the blog.
<< April 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

- | | - | - | - | - |
サザンオールスターズ
関口和之,桑田佳祐,SOUTHERN ALL STARS,八木正生
ビクターエンタテインメント

“King of  JAPAN POP"、サザン

言わずと知れたモンスター中のモンスターバンド、サザンオールスターズ。

出したシングルは、全て大ヒットのミリオンセラー。

ほとんど全てのアルバムは、チャートの上位を独走。

そして、日本で一番コンサートチケットの入手が困難という

凄まじいモンスターぶりを発揮し続けた。

1978年、青山学院大学の学生だった桑田佳祐を中心に結成された。

桑田が音楽をはじめたきっかけは、「女にモテたい」。

(アリスの谷村新司がバンドを組んだきっかけもコレ。まあみんなそうか・・・)

ボーリングが得意だった桑田は、プロボーラーになることを考えていた時期

もあったそうな。

そして、ミュージシャンの道を選んだ。

この決断が、100年に一度の大天才、桑田佳祐を世に送り出すことになる・・・

デビュー曲「勝手にシンドバッド」で公共の電波に登場したサザンだが、

明らかに「性」を題材としたこの曲に、

お茶の間のおとうさん、おかあさんは椅子から転げ落ちんばかりに驚いた。

だが、上っ面のキレイゴトな恋愛ばかりを歌う、日本の歌謡曲にうんざりしていた

とがったたキッズたちは、迷うことなくとびついた。

ここから、サザンのモンスター伝説は幕を開ける・・・

シャンソンから演歌まで歌いこなす、桑田の自由自在な表現力と独特のサウンドは、

幅広い層から支持され続けたが、08年、無期限活動停止となる。

近年さすがにマンネリ化が否めなかったサザンではあるが、

「解散はありえない」という桑田の言葉を信じれば、また新たな展開を

見せてくれる日も近いだろう。

それまで、“King of JAPAN POP"の座は空席だ。

いや、サザンだけに許されたこの場所は、永久欠番かもしれない。



Artist : SOUTHERN ALL STARS
Recommend Album : SUTEREO TAIYOUZOKU

This is the best group in Japan, as "King of Japan Pop".

SOUTHERN ALL STARS, they have many records which has  many

million seller singles  and original albums.

Although they has  been supported by a wide generation.

they stopped the act as the band in 2008.

They are making efforts to each activity now.




渋さ知らズ
渋さ知らズ
地底レコード

日本最大級のインスト・バンド

さァ、渋さ知らズの登場だよ!

関西を代表する、ものスゴイバンドだ!

何がすごいって、人数がスゴい!

もはや数え切れないくらいの大人数。なにしろ、一度でも参加した人間は

全てメンバーとされるため、その数は百人を軽く超えるともいわれている。

中には、忌野清志郎やカルメン・マキ、じゃがたらの面々など

そうそうたるメンツまでいる。

89年に、不破大輔を中心に結成。

ジャズやロック、ダンスミュージックなど様々な要素を取り入れた

インストゥルメンタルを展開し、前衛舞踊、キャバレーやサンバといったダンスをする

バックダンサーまで抱えている。

渋さの名前を一気に広めたのは、2001年のフジ・ロックフェスだろう。

圧倒的大人数による圧倒的ライブパフォーマンスで、初出演にも関わらず

大絶賛を浴びた。

ヨーロッパを中心に海外公演も行っており、

外国での認知度もばっちり上がっているらしい。

そんな渋さの方々は、こんなに長〜く活動しているのに、

メジャーデビューは、2006年。

それまでの音源は、インディーズからリリースされている。

百聞は一見にしかず。

まずは、ライブ映像を見てみるといい。

ともかく、かっけー!ともかく、大迫力!

これこそ、芸術!

こいつは、必見のライブだ!


Artist : SHIBUSA SHIRAZU
Recommend Album : SHIBU HATA

SHIBUSA SHIRAZU is the biggest group in Japan.

The band  consists  of  about 100 musicians or dancers.

Their music is instrumental that add jazz or  rock or the dance music.

They came to be known widely by having performed

to FUJI ROCK Festival in 2001.

They performed in Europe and South Korea,

and are attracting attention.
少年ナイフ
少年ナイフ
MCAビクター

 完全逆輸入の勝利

アメリカに行って、「日本のバンドで知っているのは?」と聞くと、

たいていの人間から、こういう答えが返ってくる。

「少年ナイフ」

アメリカの人気アニメの主題歌に起用されるほどの知名度を誇る、

「少年ナイフ」とは、どのような経緯を経てここまでになったのか・・・・

少年ナイフは、1981年に大阪で結成される。

結成当初のメンバーは、山野直子、中谷美智枝、山野の妹の敦子の3人。

このうち直子と中谷は当時某有名企業に勤めるOLであった。

大阪の原っぱ(!)で演奏しているところをスカウトされ、

インディーズレーベルから、デビューする。

この頃、日本に来ていたアメリカのレーベル“K−Records”のプロモーターが

偶然少年ナイフのアルバムを購入した。

”K”の人間は、即座にバンドに連絡。アメリカでレコードを出さないか、と持ちかけた。

そして、アメリカで発売されたアルバムが、

あのニルヴァーナのカート・コパーンから絶賛される。

カートは、ニルヴァーナの全英ツアーを一緒にやってほしいと依頼。

(本人たちは、ニルヴァーナのことを全然知らなかったので、

かなり軽い気持ちで受けたらしい。ニルヴァーナのメンバーは、

気さくでいい人達だった、とコメントしている)

これがきっかけで、少年ナイフの名前は一気に海外で認知された。

現在、オリジナルメンバーではなくなったが、気負いのない姿勢はそのまま、

国内外で精力的に活動中である。

ソニックユースなど、海外の一流アーティストが少年ナイフの曲をカバーした

トリビュートアルバムも発売され、ミュージシャン達からリスペクトされる存在となっている。

最後に、「なぜ少年ナイフを好きなのか?」と、質問された時、

カート・コパーンが言った言葉を書いておこう。

人を魅了する音楽とはどういうものなのか、

なにゆえ音楽業界が低迷し続けているのか、また、成功の重圧に押しつぶされ、

自ら命を絶ったカート自身が生涯を通して探し求めていたものが何であったのか、

全ての答えが、この一言に凝縮されている気がしてならない。

「自分たちの好きな音楽を楽しそうに演奏しているからだ。」

Artist : SHONEN KNIFE
Recommend ALBUM : HAPPY HOUR

SHONEN KNIFE is very famous japanese girls band ,

especialy in U.S.A.

Women who were performing in the field,

independent label did the scout.

They released the album from K-Records in U.S.A,

and praised highly by Kurt・Cobain of NIRVANA.

In addition, SHONEN KNIFE performed with NIRVANA 

in their British tour.

SHONEN KNIFE is respected by many musicians  of  the world

while acting now.

JUN SKY WALKER(S) ジュンスカイウォーカーズ
JUN SKY WALKER(S)
トイズファクトリー

 バンド・ブームの申し子

80年代後半から90年代前半に、日本を席巻した空前のバンド・ブーム。

猫も杓子もバンドを組みたがり、ストリートやライブハウスはバンドだらけ。

「イカ天」なるバンドオーディション番組が放映されたのもこの頃。

そのムーブメントの申し子的存在が、ジュンスカイウォーカーズ。

原宿のホコ天など、ストリートでの演奏が話題を呼び、

88年にメジャーデビュー。

「歩いていこう」を大ヒットさせる。

しかし、勢いが良かったのは、ほんの数年。

バブル崩壊と同時に、当然日本のバンドブームは下火となり、

ジュンスカの人気も比例するように集落。

ジュンスカは、もともと抜きん出た特徴があるバンドではない。

ストリートでたたき上げたステージ度胸は素晴らしいが、

本来それほど演奏テクニックがあるわけでもない。(と、思う)

8ビートのパンクは確かにノリがいいが、友情、青春、夢と希望を盛り込んだ

歌詞は、どこか2番煎じ。

(デビュー当初は、よくブルーハーツと比較されていた)

残念ながら、ブルーハーツの哲学には足元にも及ばず、

97年に解散となる。(2007年に再結成)

「盛者必衰の理をあらわす」がごとく、ブームっていうのは所詮こんなもんだろう。

それでも、「歩いていこう」「さらば愛しき危険たちよ」はいい歌だ。

それは、間違いないと思う。

Artist : JUN SKY WALKER(S)
Recommend Album : Aruite Ikou

JUN SKY WALKERS is a band that represents

the band boom in Japan in the latter half of the 80's.

They performed on a lot of streets,

and were popular among the teen-ager.

Their music was called a beat punk.

They debuted in 88, and they became a popular band

by the smash hit of "Aruite Ikou".

They released 11 original albums, and dissolved in 97.

ZIGGY(ジギー)
ZIGGY
徳間ジャパンコミュニケーションズ

グラマラスで華やかなポップロック

「グロリア」の大ヒットで有名なZIGGYは、高校時代の人気バンドの一つ。

ハデで適度に下品、でも外しすぎない。

ルックスやその音楽性からして、当時主流になりつつあった

LAハード・ロックをかなり意識していた。(はず)

あまたいる似たようなバンドの中から見事に生き残ったのは

ZIGGYだけ。

洋楽志向で、ハードロックはLA系しか聴かないとか豪語してた連中も

どうしたわけかZIGGYだけは、ちゃんと認めて聴いていた。

確かにいいよなあ。

森重樹一のヴォーカルは、艶やかでグラマラス。

ビジュアルもパフォーマンスも当時の本場LAの方々にも見劣りしない。

いいバンドでした。

その後は、数度にわたるメンバーチェンジを繰り返し、

2007年12月31日をもって、無期限活動停止となる。

この日のライブは、アンコールが鳴り止まず、終了の放送が鳴っても

客は、誰ひとり帰らなかったそうな・・・・

伝説だね・・・

じゃがたら
JAGATARA
BMGメディアジャパン

 猥褻だけど芸術

79年に、江戸アケミを中心に結成されたじゃがたら。

江戸アケミ、そしてじゃがたらといえば、

R指定されそうなぐらい過激なパフォーマンス。

乱闘、ストリップはもちろんのこと、爬虫類を生きたまま喰らい、

あげくのはてには、ステージ上で放尿や脱糞などのスカトロ行為までする始末。

当時は、この超エログロパフォーマンスが話題になり、

メディアに取り上げれることもしばしばあったそうな。

いや〜、それにしても、やたらとせせこましい2010年の今だったら

間違いなく警察にしょっ引かれる過激行動を受け入れるあたり、

あの頃は、アートに関して、寛大だったんですなあ。

こうしたことから、キワモノ扱いされ、彼らの音楽そのものに

目を向けられることはなかったが、アルバム「南蛮渡来」を発表すると

その評価は一変する。

ファンクをベースとしたサウンドに独自の味付けをしたこの一作は、

渋谷陽一をはじめとする著名な批評家から絶賛された。

その後、バンドは中心人物である江戸アケミの精神的不調により

活動停止。一旦再始動するが、江戸が浴槽で溺死するという

不慮の事態を迎えたため、解散に至る。

(さらに、元メンバー2名が相次いで他界するという不幸にも見舞われている。)

不世出の名グループ、じゃがたら。

「南蛮渡来」は、今でも国内名盤の一つとして、その名を残している。

聖飢魔
 早大出身悪魔の布教活動

1982年の暮れ、全世界に悪魔教を布教すべくある教団を結成された。

教団の名前は、「聖飢魔?」。世紀末からもじったのはほぼ間違いない。

しかも、どうしたわけか早稲田大学を始点としていた。

教団は、着々とライブ活動じゃなく黒ミサを行い、ファンもとい信者の数を

増やし続け、85年にはなんとCBSソニーよりCDデビュー・・じゃなく、

大教典を発表するまでになってしまった。

リーダー・・ではなく大魔王であられるデーモン木暮閣下をはじめとする

教団員たちは、どう見ても普通じゃない白塗りのメイクにキテレツな髪型で

地球のあちこちに出没したが、本人たち曰くこれが魔界での素顔だそうで、

布教活動以外に地球をうろつく時には、人間の姿に「メイク」して歩かれるそうだ。

教団のライブ・・じゃな黒ミサはすばらしく、閣下の地声とは程遠い美声と

教団員たちの高い演奏テクニックと黒ミサにふさわしいパフォーマンスで、

信者たちを熱狂させた。

そして、「地球は完全に征服した」として、解散・・・いや地獄にご帰還された。

1999年。時、まさに世紀末のことであった。

その後、デーモン木暮閣下は、地球で魅せられた相撲のコメンテーター

としてご活躍される姿がよく見受けられる。

閣下とやくみつるは、本業はどうなっているんだろう、と思いを馳せる

今日この頃・・・・


ゼルダ
 ガールズバンドの草分け

自分の高校時代の友人女子ニゼルダのコピーバンドをやってるコがいた。

“文化祭、見にきてね〜 ”と言われ、当然行ったわけですが。

で、どうだったかというと、高校生だし、女のコだし、まあ、こんなもんかと。

ヘタなんだけど、“おカワイイじゃんか”で、許せる。

まあ、プロバンドのコピーはそうそううまくいくわけないよな〜・・・・

って思っていて、その後初めてホンモノのゼルダを見た。

・・・・あまり差はない。そう。

ゼルダはヘタだった。

本当にプロか?と思うほどの素人臭さ。稚拙一歩手前の演奏テク。

だが、そこはプロ。友人バンドとは、決定的な違いがあった。

異様に雰囲気がある。

特筆すべきは、ヴォーカルのサヨコ。

上手いとはいいがたい歌唱力だが、なぜか観客を引き寄せる不思議さん。

ゴシックロリータ調の衣装といい、さながら小さな魔女軍団のようでした。

ベースの小嶋さちほ(ボ・ガンボスのどんと夫人)を中心に

なんと’79年に結成されたゼルダは、国内ガールズバンドの

草分け的存在と言える。

その後のバンドガールズに大いなる勇気と希望を与えてくれた。
ソドム
 ・・・どっちつかず。

ソドムは、’82年にヴォーカルのZAZIEを中心に結成された。

主にインディーズシーンで活躍したが、非常に変わった経路を

たどったバンドといえる。

当初は、パンクバンドとしてスタート。ソドムという名前からして

パンクにぴったりだったし、妖しげなステージアクトとZAZIEの美貌で

インディーズでは、かなり人気があった。

だが、数年たったあとのソドムの曲は・・・・

・・・・パンクじゃなかったっけ???

どこのディスコソング・・・いやいやハウスっていうのか、

こういうの・・・なんだよ!!

そう。ソドムはパンクからハウスへと移行してしまったのであった。

受け止める側からすると、シャケのおにぎりだと思って食べたら、梅干だったとか

マグロと思って食べたら、アボガドだったとか、なんかそんな感じだ。

結局、パンクでもハウスでも消化不良のまま終わってしまったような気がする・・・

時代を先読みしすぎたせいなのか、

はたまたどちらもバンドにしっくりこなかったからなのか・・・・

ZAZIE、一体何がやりたかったんだろう?

SOW-YA
SHOW-YA
EMIミュージック・ジャパン

 男社会でタイマンはり続けるレディス・バンド

SHOW-YA。どえらいテクニックとパワフルなヴォーカルで世間をうならせた

レディス(どーしても族のイメージだ)ハードロックバンド。

「男どもになんか任せてらんないよ!!」

とばかりに女だてらにハードロックで殴りこみをかける。

で、このレディスのヘッドってのは、結構イイ女だったりなんかする。

これが、ヴォーカルの寺田恵子。

「ヘッドがああおっしゃてっるんだ!みんな、行くよ!!」

・・・と、配下が続く。

受けて立つ他の族集団(よくわかんないけど、その他テキトーなロックバンド(仮))

は、ハードなテクとド迫力のヘッドバンギングにたじろぎ、全面降伏。

かくして、レディスたちはタイマンに勝利し、「限界LOVERS」は

30万枚を超えるメガヒットとなった。

だが、皮肉にも時代の潮流は、確実にプリンセス・プリンセスへと

傾いていったのであった・・・・

ところで、つい最近偶然TVでSHOW−YAのライブを見た。

カッチョエエ。

レディスの意気込みはすたれることがない。

頑張って欲しいもんである。

(C) 2017 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.