宝島ひとり〜80年代〜90年代日本ロックバンド図鑑

主に80年代〜90年代に活躍した国内ロックバンドを紹介しています・・・
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This is a blog that introduces the rock bands of Japan from the 80's to the 90's.
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フラットバッカー
FLATBACKER
ビクターエンタテインメント

ボヘミアン・メタル

「FLATBAKCER」という名を知らなくても、「E.Z.O」と言えば

聞き覚えのある人は多くいるのではないかと思う。

現にこうやって紹介している本人がそうである。

ふらっとばっかー?なんのこと?という感じだが、

E.Z.Oでやっと納得したくらいなんで。はい。

メタルなんぞ大して興味もない自分が名前を記憶していたんだから、

それなりの知名度であったことをまず言っておきましょー。

一つのバンドで名前が二つ。それにはこーゆーわけがあったそうな。

1982年、札幌で結成。当時のバンド名は「FLATVACKER」だ。

(ややこしいな、もう)

活動から2年後、「皆殺し」という作品をデモテープで発表。

これが音楽評論家の目に留まり、雑誌で記事として紹介される。

「北海道にすごい連中がいる」と話題を呼んだ。

バンドはその後、ビクター主催のコンテストで見事入賞。

85年、「戦争ーアクシデント」でメジャーデビューとなった。

この時は綴りを「FLATBACKER」に変えている。

細木数子にでも言われたんでしょうか・・・

さて、バンドは日本人離れした達人的ヴォーカルや過激な歌詞で、

ハードコアファンから絶大な支持を受けるが、

あまりに過激なリリックが一部日本人に受け入れられず、

(「ゲロ吐き出すなら死んだ方がましだぜ」とか。そんなに過激とも思えんが)

それなら、と目指したのが全米デビュー。

彼らがデビューした当時、アメリカはハードロック全盛期。

これだけの実力をもってすれば、うまく波に乗ることができるかもしれない。

バンドは満を持してアメリカへ渡る。

ガンズ・アンド・ローゼスの成功で一大レーベルとなった

ゲフィン・レコードと契約。

プロデューサーに、なんとKISSのジーン・シモンズを迎え、デビューを飾る。

この時、バンド名を「E.Z.O」に改名。

出身地北海道(蝦夷)にちなんでつけたそうだが、

なしてそんなことをしたのか、さっぱりわからない。

とにもかくにも、見事全米デビューを果たしたE.Z.O。

その後、同レーベルのガンズのツアーに同行し、2ndアルバムを出すなど、

それなりの活躍をする。が、

全ての夢を勝ち取ったかに見えた1990年、バンドは解散に至る。

理由は簡単。

これだけ頑張ったにも関わらず、結局日本では受け入れてもらえなかったから。

日本人でありながら1度も母国のステージに上がることなく終わってしまった。

やはり根っこのところは日本人だったということでしょう。

大変皮肉な結果に終わったE.Z.Oもとい、フラットバッカーの人気は未だに健在。

多くのファンが掲示板で吠え、絶盤状態のCDを買い求め、

その早すぎた音楽性に惜しみない拍手を送っている。


は〜ほ | 14:31 | - | - | - | - |
ポータブルロック
ワタシ、ファッショニスタ

かの野宮真貴嬢ピチカート・ファイブ加入以前に

活動していた場所がポータブル・ロック

日本のNWシーンが始まった80年頃、ハルメンズのプロデューサー

だった鈴木慶一(ムーンライダース)が、たまたま遊びに来ていた

野宮の才能を見出したところから始まる。

当時「ピンクの心」というへぼいタイトルの曲で既に歌手デビューしていた野宮。

デビューしたはいいが、全く売れていなかった。

ちなみにその頃の給料は月給制で手取り9万円。(余談)

その後、鈴木智文中原信雄と組み、ポータブルロック結成となる。

某有名化粧品メーカーのCMソングに起用されたが、

目立ったヒットはないまま解散。

が、後に渋谷系アーティストとして一世を風靡する野宮真貴の

独自のヴォーカルスタイルとこれまでにないビジュアルセンスは

当時から際立っており、一部のお洒落系ピープルの注目を集める。

これに目を付けたのが小西康陽。連日のように電話でラブコール

しまくり、ピチカートファイブ2代目ヴォーカリストとして野宮を迎える・・・

その後の活躍は周知の事実。小西・野宮の2人体制となってからは

精力的に海外ツアーを行い、特にヨーロッパにおける人気を

不動のものとする。

野宮真貴の功績は、これまで邦楽なんぞ振り向きもしなかった

おっさーれでヴォーグな人々を虜にしたこと。

大変だよ、この方達に認めてもらうのは。

こういう方達には、ビジュアル系バンドなんてちり紙以下なんだから。

(余談)

そんなファッションな人達が「これ、いいよ」って堂々といえる

ジャンルをジャパンポップに築き上げた点は評価に値する。

野宮姉さんも、はや50代。結婚・出産・育児を経て

熟年期にさしかかったが、お洒落魂と音楽への情熱は建材である。

昨今の女性アーティストのみなさん、是非見習うようにネ。


は〜ほ | 19:29 | - | - | - | - |
THE BEATNIKS

大物カップルの相性

いや〜、ついに観てしまいましたよ。

“英国王のスピーチ”

今年のアカデミー賞作品、近年まれに見る力作揃いで、目移りしますぜ。

この後“ザ・ファイター”も控えてるしな!

貧乏人のくせに、映画は映画館にて鑑賞という、贅沢な嗜好の持ち主である

オレにとって、大黒屋のチェックは欠かせない。

文句なしの名作でも、ごくつぶしの貧乏人に1800円は痛いからだ。

大戸屋で3回、はなまるうどんに至っては、9回ぐらい食せる額。

チケットをゲットしたら、早速GOだ。

限りなく自由業なので、平日鑑賞が基本。

まあ、こんな生活しかできないから、お金がないんですけど・・・・

アテは、スターバックスチャイ・ラテ(豆乳山盛り)と、アーモンド(素焼きロースト)。

ポップコーンなんて、クソ高い上に、のどが渇くもんは買わない。

ツウの鑑賞方法を心得ている。

・・・・・う〜む。久しぶりに感動したっす。

アカデミーモノで、これだけ感銘を受けたのは、“ゼア・ウィル・ビーブラッド”以来か。

重厚な上に、所々、英国的ウィットに富んでいる、素晴らしい内容。

しかし、役者がうまいね!!日本の役者じゃ、逆立ちしたって勝てねえぞ。

現況、日本の俳優、芸能界に直結しちゃってるから、しょうがねえけど。

音楽業界も同じ。いつまでたっても、負のスパイラルだ。政治も、そうか。

おまけに震災、原発、大借金。後進国街道まっしぐらだ。

まあ、お触りは、この辺にしといて。

80年代、YMOの面々は、本体の他、各自で様々なユニット活動をしていた。

今でこそ珍しくないが、日本でいち早くこういうやり方を用いたのも、

YMOだと思われる。

教授が、清志郎デビッド・シルヴィアンと組んだり、

細野サンは、戸川純矢野顕子と一緒にやったり、とか、それはもう様々。

プロデュースも多かったな。教授なんか、TACOまで手掛けてるし、

細野さんは、シーナ&ロケッツもプロデュースしたな。

シナロケは、今イチ、テイストが合わなかった。

ビートルズだの、ストーンズだの、ウィルソン・ピケットだのがルーツの鮎川

テクノ系がマッチするとは、思えない。なんで、やったんだろうな。

案の定、以降の作品は、方向性が変わった。

「いや〜。細野さんの言うことは、断れんち〜」

・・・・って、鮎川が言ったかどうかは、別として。

さて、YMOのお洒落さん、高橋幸宏が組んだ相手が、この人。

ムーンライダースの鈴木慶一。

すこぶる大物同士、がっぷり噛み合ったもんだ。

87年頃から、ぼちぼち活動し始めて、早20数年。

今でも、たま〜に、思い出したように、やったりしている。

ユキヒロのちょっとなよっちい洗練度と、慶一先生のへたするとオタクな歌世界が

なぜかばっちりマッチ。

「ちょっとツラインダ」は、秀逸な名曲。


Artist : THE BEATNIKS
Recommend Album : EXITENTIALIST A GO GO 

This is a unit that formed by YUKIHIRO TAKAHASHI
with KEIICHI SUZUKIwho are artists represented Japan.
They have acted since 1987, and released some albums.
Though they hardly performed for 20 years, some people support
them for a long time.

は〜ほ | 13:53 | - | - | - | - |
ほぶらきん

童謡アバンギャルド

なんでもありの80年代を象徴するバンドのひとつでもある、

滋賀県出身のほぶらきん

関西のインディーズシーンでは、今もって伝説的存在。

1979年、高校の同級生で麻雀仲間同士が集まって結成された。

ともかく、楽曲の尺が短い。

全ての曲が、わずか1分前後。CMソングと同じ程度の長さ。

そして、ほぶらきんのサウンドをして、人はこう呼んだ。

“童謡ポップ”。

なぜにこう呼ばれているかというと、作詞・作曲を担当したヴォーカルの森下

どんなにロックを作ろうとがんばっても、どうしても童謡になってしまう、という

(いったいどうやったらそういうことになるんだ、という)

大変に特異なソングライティング能力に由来している。

しかし、この森下の特殊能力が、逆にほぶらきんを他の追随を許さない

唯一無二の個性派バンドとして、インディーズシーンでの地位を

確立させるに至ったわけだ。

独自の楽曲と、パフォーマンスで名を馳せたにも関わらず、

メンバーの大学卒業とともに、徐々に音楽活動からフェイド・アウト。

そのまま、1983年活動停止となる。

で、メンバーは現在どうしているかというと・・・

そのまま、単に麻雀仲間として絆を継続中。

温泉麻雀旅行を続けている、と言う話。

なんのこっちゃ・・・・

それでは、良いお年を!



Artist : HOVLAKIN
Recommend Album : RUNNING HOME RUN

HOVLAKIN was formed by the members are the classmates
of the senior high school  in 1979.
They became the group of the topic in KANSAI in an instant,
I met their original musical piece for a strange performance for
some reason when I said.
They were dissolved in 1983,
but continue activity as a mah-jong friend now.
は〜ほ | 17:29 | - | - | - | - |
ハルメンズ
ハルメンズ
ビクターエンタテインメント

戦慄と叙情のニューウェーブ

サエキけんぞう

この人が、はるか先の未来を予測する能力がある、ということは

パール兄弟”の項で述べたことだが、そのサエキサンが、パール兄弟結成以前に

所属していたのが、ハルメンズ

結成は、1979年

ヴォーカルを担当するサエキ以外にも、

非常にゴージャスかつユニークなメンツの固まり。

  
比賀江隆男(g)  サエキとともに“少年ホームランズ”から”ハルメンズ”へ。
              ハルメンズ解散後、83年に、ヤプーズに加入。
 
  石原智広 (b)   同じく”少年ホームランズ”を経て、ハルメンズへ。
              解散後、戸川純の「玉姫様」に参加している。
  
  上野耕路(Key)   伝説のグループ、”8 1/2”からハルメンズへ。
                後に戸川純とともに“ゲルニカ”で活動。

  泉水敏郎(Dr.)  上野と同じく、、”8 1/2”で活動。
               脱退後はヒカシュー、東京ブラボー(サポート)、
              ヤプーズ、タイツ、
              マッスルビート、HERE IS EDEN等に参加。

・・・まあ、よくもこんなに個性的な方々ばかり・・・

要は、東京ニューウェーブシーンの代表格だった8 1/2のメンバーが、

東京ホームランズとくっついたのが、ハルメンズというわけだ。

アルバムは、80年にリリースされた「近代体操」と81年の「20世紀」のみ。

しかも、「近代体操」の発売を前後して、肝心の上野と泉水が抜けてしまったので、

事実上、バンドは空中分解となった。

その後、メンバーはそれぞれ活動するが、ハルメンズ自体は、

ほとんど陽の目を見ないまま、消滅してしまった。

再び注目されるようになったのは、戸川純が自身のソロ曲として

ハルメンズの作品を多く取り上げたため。

母子受精”や”レイダーマン””昆虫群”といった名曲を次々に蘇らせた。

プロデュースを担当した鈴木慶一をも唸らせた、

斬新さと完成度の高さは、テイ・トウワなど現在活躍する

アーティスト達にも多大なる影響を与えた。

ゆったりとした叙情的なリズムの中にある、非日常的なSF世界。

「わあ〜、かわいい・・・」って聴いているうちに、終わる頃にはなぜか戦慄が走る・・・・

  

Artist : HARUMENS
Recommend Album : 20th Century

HARUMENS consisted of the members of 2 bands ,
"8 1/2" and "TOKYO HOMERUNS" formed in 1979.
They dissolved after released only 2 albums.
Althogh Few people payed attention to their works at that time,
it evaluated their songs again to be sang by JUN TOGAWA.

2 works of HARUMENS, "KINDAI TAISO" and "20th Century"
are released again and attracts many lisheners today.

は〜ほ | 18:23 | - | - | - | - |
BOREDOMS(ボアダムス)

ハニバル・リズム

(前回より続く)

ハナタラシ
における犯罪まがいの破壊行動で、活動停止を余儀なくされた、山塚アイ

(何度も言うが、やりすぎなんだよ!!)

過去の反省を踏まえ(たかどうかは知らない)、自身の音楽を再構築すべく

立ち上げたのが、ボアダムス。ここで、山塚アイは、EYEという名前に変えている。

(逃亡犯罪者が、偽名を使ってイチからやり直すようなもんか。)

ところが、このボアダムスの音楽が、意外や意外。世間できっちり受け止められた。

ハナタラシで表現していた、ノイズ・ミュージックに、更に実験的要素を加えて、

昇華させたその音楽は、日本よりもむしろ海外で高く評価される。

これに影響されたアーティストとして、ソニック・ユースニルヴァーナなど

そうそうたるメンツが名を連ねる。

ボアダムス記念すべきファーストとして、インディーズよりリリースされた

恐山のストゥージズ狂”で、展開される壮絶すぎるほどのカオス。

延々と続くゲップの音、かけあい漫才のように吐き出される嬌声・・・

正直、とても連続して聴ける音ではないし、

気分転換のために聴くような類のものではない。

しかし、ノイズというジャンルを超え、独自の世界を追求し、また世間にそれを

認めさせたという点においては、画期的な名盤といえる。

ボアダムスは、現在、ちゃんとメジャーレーベルに在籍して活動中。

結成当初に比べると、音の方向性はずいぶんと変化したが、

そのライブは、相変わらず海外のシーンを牽引し、

NYタイムズにも紹介されちゃうほど。

ハナタラシも、よけいなことしなけりゃ、案外評価されたかもなあ・・・



Artist : BOREDOMES
Recommend Album : Onanie Bomb Meets
                                    The Sex Pistols

In 1988.EYE YAMATSUKA began to act for BOREDOMES after stopped act
of HANATARASHI.
They bulit the original style of noise music and infuluenced to many famous group as NIRVANA ,SONIC YOUTH.
There may be no other band in the world that has traced a quite like Japan's Boredoms.
After nearly two decades of noise, chaos, post-rock before there was such a thing, tribal Experimentation, remixing, trance-inducing feats of rhythmic intensity, lineup changes, Continued collaborations, and doing what they want regardless of trends and fashion, the Boredoms continue, and remain as vital as ever.

*Excerpt of part from Official HP of BOREDOMES

 

 

 

 

 

 

 

 

 

は〜ほ | 22:08 | - | - | - | - |
ハナタラシ
ハナタラシ
インディペンデントレーベル

犯罪とアートは紙一重

このレビューを始めて、早半年。こうして見てみると、

日本のアンダーグラウンド・シーンが、いかに優秀かつ

許容範囲が広いものであるのかが、よくわかる。

特に80年代に関して言えば、まさにやりたい放題

暴動、乱闘、ストリップはもとより、脱糞だの、動物の臓物ばらまきだの、

「そこまでやるかい!」という行為を平然と行い、観客側も平然とそれを受け止める

寛容さを持ち合わせていた。

それもこれも、ジャパニーズカルチャーがまだまだ発展途上にあった

あの時代だからこその話。

が、表現の自由にもホドがある。

裸だの、垂れ流しなどは、まだ可愛い。

アートを超えて、ほぼ犯罪すれすれのラインまでやっちまったのは、

たぶんこのバンドだけ

ハナタラシは、1983年、山塚アイを中心に結成されたノイズ系ハードコアバンド

どんな音楽をやったとか、どのようなジャンルだったとかいう話は、

この際どうでもいい。

当時、ハナタラシが行ったとされるパフォーマンスの数々を羅列してくと、

1.チェンソーで、動物の死骸を切り刻み、客席へ放る。

2.ガソリンを床に撒き、火炎瓶を投げ込む。

3.ユンボ(建設用機械)でライブハウスの壁をぶち壊す。

4.大量のドラム缶をステージ上で転がした上に、客席に投げ込む。

5.マリファナ吸い放題で、入場料10万円のライブを行う。
 (ちなみに、入場者はゼロだったらしい)

6.ライブ会場に、ダイナマイトを持ち込む。

・・・ほとんどテロじゃねえか。

数多くの犯罪行為、いや、奇抜なパフォーマンスで、ハナタラシは演奏できる場所を

失い、(あたりまえだ)1988年活動停止を余儀なくされる。

その後、山塚アイは、ハナタラシでの経験を教訓に(したかどうかは知らない)

一念発起し、ボアダムスを結成。

商業的成功は、もちろんのこと、海外で恐ろしいほどの認知度を誇るバンドとなる・・・

そんなわけで、この話は次回に続く。



Artist : HANATARASHI
Recommend Album : HANATARASHI 2

HANATARASHI was a band that was playing a noise music and
known to Japanese underground scene as most radical group.
Give a few cases below・・・
 ・Chopperd  tne animal's body with a chain saw.
  ・Scattered a gas on the floor and threw a Molotov caoktail 
   at the audience.
  ・Destroyed the wall of live house with a power shovel.
  ・Threw many drums at the audience.
  ・Could smoking marijuana as much as you like for 100.000yen of
   their gig.
 ・Broght dynamite to a live house.
etc・・・
They did many radical perfromaces, therefore they could not play
at any live houses and stopped act in 1988.

は〜ほ | 21:51 | - | - | - | - |
フリッパーズ・ギター〜小沢健二
小沢健二,小沢健二,服部隆之
EMIミュージック・ジャパン

“渋谷系”というカルチャー

90年代前半を席巻した“渋谷系”。

もともとは、HMVやタワーレコードといった外資系レコード企業の戦略によって

築かれた、ポップ・カルチャー。

クラビング・ブームの幕開けとともに、音楽も海外からのネオ・アコ、アシッド・ジャズ、

フリーソウルといったものが徐々に浸透しはじめていた。

(どっぷりハマったなぁ・・・90年代はこいつに)

こういった動向に鋭敏に反応し、日本離れした洒脱な音楽に加え、

CDジャケットなどのアートワークについてもより斬新なものを求めていった

アーティストたち・・・

それが、いわゆる“渋谷系”アーティストである。

渋谷系の代表格である、フリッパーズ・ギターは、1989年の段階でこれをやった。

当時、まだ一部の熱狂的な洋楽ファンにしか支持されていなかった、

英国のネオ・アコースティック(アズティック・カメラとか、

エブリシング・バット・ザ・ガールとか、あのへんか)

にいち早く目をつけ、小沢健二による全曲英語詞のアルバム

”three cheers for our side~海へ行くつもりじゃなかった”で、デビュー。

(当初は、5人編成だったが、音楽性の不一致により、

小沢健二と小山田圭吾の2人ユニットとなる。)

これが、日本のポップシーンの流れを一気に変えることになる。

フリッパーズの登場により、日本のミュージックシーンは俄かに活気づく。

80年代バンド・ブームが終焉を迎え、冷め切っていた音楽業界は

ここに活路を見出す。

オリジナル・ラブ、ピチカートファイブ、カヒミ・カリィ、ラブタンバリンズ

といったグループが登場し、音楽のみならず、

ファッションの面においても、多大なる影響を与えた。

(思えば、草食系男子なるものが増え始めたのも、このあたりだな)

そして、日本のポップ・ミュージックを洗練された大人の文化に成熟させてくれた。

が、その先導をきっていたハズのフリッパーズが、3rdアルバム発表後、

突然の解散宣言。

すでに、その言動や行動が、いちいち若者に影響を与えるような

存在になっていただけに、解散に関しては新聞が取り上げたほど。

その登場により、現在のJ-POPの潮流を作り、

一つのポップ・カルチャーを築き上げたフリッパーズ・ギター。

“渋谷系”カルチャーを最後に、日本の音楽文化も成長を止めてしまった。

もう、文化が成熟しきっちゃったんすかね・・・

その後、小山田圭吾は、コーネリアス名義で、小沢健二はソロで活動。

コーネリアスもすげえいいけど、それは90年代編でいずれ

ご紹介ということで、やっぱ、オザケンっしょ!!!

(次項に続く)



インテリ不良貴公子、オザケン

日本のミュージシャンの中で、オザケンほど興味をそそられる人物は、そうそういない。

父はドイツ文学者の小沢俊夫、母は心理学者の小沢牧子。

叔父は、世界的指揮者・小澤征爾、彫刻家の小澤克巳、

従兄弟に俳優の小澤征悦、作家の小澤征良。

母方の一族は、日本経済界に広く君臨する下河辺家。

もう、この一族だけで日本をそのまま牛耳れそうな勢いである。

そんなサラブレッド的な生まれで、幼少時代をドイツで過ごし、

「ちょっと、コンサート見たいなぁ」というと、翌日はロンドンへ飛んでる、みたいな

生活をフツーに送っていたオザケン。

東大文学部にさらーっと入り、さらーっと卒業。

子供の頃から興味のあった音楽で、これまたさらりとデビュー。

まるで気負いもなくやっているにも関わらず、社会現象になるほどのブームを作る。

取材に対し、自身を「王子と呼んでください」としゃあしゃあと言い放つ。

どうっすか?いないでしょ、こんな人。どこ見回しても。

別にオザケン、ミュージシャンなんかやらなくっても、何でもやっていける人なんである。

その証拠に、ソロであんだけバカ売れに売れていたのに、突然の活動休止。

(たぶん、飽きちゃったんだろうね・・・)

レコード会社に対しても、

「契約?切っちゃってかまわない」

とばかりに、これまたしゃらーっと余裕な態度。

(でも、EMIはいまだにオザケンを所属アーティストとして扱っている)

アメリカに渡り、環境活動に精を出し、メディアとはぷっつり縁を切る。

あまりにも余裕しゃくしゃくなオザケンライフ。

オザケンが、他のミュージシャンと一線を画すのはそこだ。

音楽の世界にしがみつく必要もないから、必死さなどかけらもない。

面白いと思ったことをやるだけ。

そんなオザケンが、また日本のミュージックシーンに戻ってきてくれた。

さあ、これは楽しみになってきた。

今度は、何をやらかしてくれるんだろう・・・



Artist : FRIPPERS GUITER
(Featuring : KENJI OZAWA)
Recommend Album : three cheers for our side
                                   Camera Talk
                                  (FRIPPERS GUITER)
                                   LIFE (KENJI OZAWA)

FRIPPERS GUITER  was acting from 1989 to 1991,  unit of
KEIGO OYAMADA and Kenji Ozawa and a leader of
"SHIBUYA-KEI"culture that a movement of Japan in 90's.
They  had a great influence on young genelation,
not only the music character but also respect of the fashion etc.
They dissolved after released only 3 albums, and just before
tour in Japan.
Actually,The paper gave a big write-up to teir dissolution.
KEIGO OYAMADA acted as "CORNELIUS", KENJI OZAWA  as solo
after dissolution.

KENJI OZAWA, he comes of a good family,
his farter is Doctor of German literture, mother is a psychologist,
and his uncle is SEIJI OZAWA who is a famous conductor.and
he was graduated from TOKYO University.
In 1994, he became "the man of the day" with 
his 2nd album "LIFE"
including big hit song "KONYA WA BOGGIE BACK"and "LOVELY".
Suddenly he stopped  music activity and went to
the United States in 1998.
In 2010, he resumed music activity and performed
after an interval of 13 years.







は〜ほ | 21:16 | - | - | - | - |
FRICTION(フリクション)
RECK,川島明喜,ツネマツマサトシ
Pヴァインレコード

“軋轢”の中を歩む

日本の音楽シーンに、斬新で異質な種子を蒔いたバンドとして、非常に重要な存在

であるにも関わらず、なぜかあまり公に語られることがない(ような気がする)

バンド、フリクション。

80年代を、まさに「軋轢(Friction)」ともに駆け抜けた、その歴史を振り返る。

1970年代後半、世界の音楽シーンは変革の時を迎えていた。

セックス・ピストルズ、ザ・ジャム、トーキングヘッズ、クラッシュとったバンドが

次々とデビューし、パンクを主体とする新しい波が押し寄せていた。

そんなムーブメントに魅せられ、一人の男がNYへと旅立つ。

レック。日本で3/3というバンドで活躍し、後にフリクションの

中心人物となるベーシスト。

あてもなく、音楽への情熱だけを抱えて、NYへ降り立った彼は、

ティーン・エイジ・ジーザス(NYパンクの金字塔的アルバムで

ブライアン・イーノプロデュースによる名盤「NO NEWYORK」にも登場する)

というバンドに参加し、約1年間活動する。

ニューヨーク・パンクとオーディエンスの熱気に直に触れ、

最大級の興奮と刺激を手土産に帰国したレック。

だが、待ち受けていたのは、盛り上がりに欠け、まるで熱のない

日本のミュージック・シーンの現況であった。

NYでの経験が、あまりにも素晴らしかっただけに、そのギャップに

彼の精神状態は、一時期どん底まで落ち込んだ。

しかし、その後、3/3のメンバーで、同じくNYで活動したヒゲとともに

「フリクション」を結成。

NYパンクの情熱をそのまま取り入れた初ライブで、観客の度肝を抜く。

一気にシーンの頂点に踊り出たフリクションは、80年、

坂本龍一のプロデュースにより、メジャーデビューを果たす。

それが、1stアルバム「軋轢」。

今でも、ジャパン・ロックの歴史に燦然と輝く、名盤とされている。

「軋轢」によって知名度を上げ、全国でのライブを重ねるようになったフリクションだが、

ここでも、彼らは、NYの観客とは異質な反応を見せる日本のオーディエンスに対し、

違和感を覚えるようになる。

バンドは、その後、メンバーチェンジを繰り返しながら、音楽的変遷を遂げてゆく。

シーンから後退した時期もあったが「Replicant Walk」「ZONE TRIPPER」

などの傑作を発表し、日本のロックに不可欠な存在であることを証明してみせた。

現在のフリクションは、オリジナルメンバーはレックのみとなり、

中村達也(ブランキージェットシティ!!)と組んだ、ドラムとベースの

リズム隊のみの編成で活動中。

2006年には、新生フリクションとしてフジロックフェスに出演し、話題を呼んだ。

日本からNY。NYから日本へ。多くの「軋轢」の中で、しかし、確実に自身の音楽を

構築していったフリクション。

この先もまだ、様々な「軋轢」が待ち受けているかもしれないけど、

その音楽が崩れることは、もうないはず。

(今回、まじめに締めたな〜(笑))



Artist : FRICTION
Recommend Album : ATSUREKI

FRICTION is a important group of history of Japanese rock
because they introduced a fresh current into 
Japanese rock music.
REC was influenced by new punk movement 
to left Tokyo for N.Y in 1977.
He participated with a band that is TEEN AGE JESUS for a year.
When he was back to Japan, he distressed  about a gap
of music scene between Tokyo and N.Y.
He formed new group, "FRICTION" with HIGE who was  his friend
in 1978.
Their first performance excited large audience.
They debuted with 1st album "ATSUREKI" in 1980 and became
noteworthy band of music scene in Japan.
After many changes, they released masterpiece of Japan rock
which are "Replicant Walk" and "Zone Tripper".

FRICTION is acting now, consits of two men, REC as bass and
TATSUYA NAKAMURA as drums.

は〜ほ | 09:53 | - | - | - | - |
ザ・ファントムギフト



ネオGSブームの火つけ役

1960年代から70年代に、日本で流行り、熱狂的なブームを巻き起こした、

グループサウンズ。(GS)

タイガース(沢田研二、岸辺シロー、岸辺一徳が所属)や、

ザ・スパイダース(堺正章、かまやつひろし、井上順が所属)

ザ・テンプターズ(萩原健一が所属)といったバンドが、

女の子達をキャーキャー言わせ、当時の音楽シーンの一翼を担った。

(マチャアキが歌ってたなんてねぇ・・・)

こうしたバンドが次々に解散すると、熱は醒め、GSブームは下火となった。

が、80年代にタイガースが再結成を果たし「色つきの女でいてくれよ」

大ヒットさせたこともあり、再びGSに注目が集まるようになる・・・

1984年に結成された、ザ・ファントムギフトもそのブーム再燃に

貢献したバンドの一つ。「80年代ネオGSブーム」の火つけ役とされている。

元々は、日本の60’sGSや欧米のガレージロックを演奏する、

いわゆるカヴァーバンドであった。

その後、自主制作盤でオリジナル曲をリリースするようになり、

ライブのクォリティの高さとともに、徐々にその名が知れ渡るようになる。

87年、「ザ・ファントムギフトの世界」を発表。この作品でメジャーデビューを果たす。

その後、バンドは、ヴォーカリスト・ピンキー青木の脱退を機に解散。

リリース予定であったセカンドアルバムが、発売を見送られたため、

この作品が唯一のメジャー盤となる。

妙になよなよした歌詞とは、裏腹のビートの効いた骨太なサウンド。

60’sGSをリスペクトしつつ、まったくのオリジナルを創り上げたその心意気。

国内名盤の一つとして、名を刻んだこの1枚は、一聴の価値あり。



Artist : THE PHANTOMGIFT
Recommend Album : THE PHANTOMGIFT
                                    NO   SEKAI

THE PHANTOMGIFT was a rock band  that performed  60's
group sounds that  was populer in Japan from 60's to 70's.
They formed in 1984 and debuted with 1st album
" THE PHANTOMGIFT NO SEKAI" in 1987.
They added Peculiar interpretation to ordinaly group sounds and
built original style.
They released only one original album, and dissolved in 1989.


は〜ほ | 11:40 | - | trackbacks(0) | - | - |

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