宝島ひとり〜80年代〜90年代日本ロックバンド図鑑

主に80年代〜90年代に活躍した国内ロックバンドを紹介しています・・・
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This is a blog that introduces the rock bands of Japan from the 80's to the 90's.
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ショコラータ
かの香織の憂鬱

「ベルカント」とはオペラにおける声楽唱法の一種。

イタリア語で「美しい歌」の意味を持つ。

19世紀前半、ロッシーニのオペラで完成領域に達したとされるこのベルカントが

後世、どういうわけかポップスの発声訓練に取り入れられるようになったという。

本格的な呼吸法を伴う発声法と異なり、胸声のみで表現するため、

技術的自由度が高いからではないか、なあんて言われているせいかもしれない。

オペラマニアにしか通用しない奇特なこの知識が、巷の音楽ファンにまで

浸透するようになったのは、ショコラータの影響から。(ショコタンじゃないよ)

82年、ヴォーカルのかの香織を中心に結成。

ニューウェイヴ全盛の時代に、オペラやジャズ、ファンク、

カンツォーネといった様々なジャンルをミックスした音楽で注目を集める。

かの香織の歌は正にベルカント。ハイヴォイスで囁くような唱法は

当時のお洒落女子たちのハートをぐっと掴んだ。

ついでに、ちょっとヨーロッパチックなファッションも話題となり、

一躍ファッションアイコンに躍り出たのである。(これはホント)

もうよけいな説明が面倒くさいので、今日はこの辺でカンベン。

あとは曲を聴いてください。

っていうか、個人的にはファッショニスタの印象しかないんだよなあ。

かの香織って・・・


さ〜そ | 09:48 | - | - | - | - |
スペクトラム
東洋のアースウィンド&ファイア

ブラック・ミュージック。それは、日本人の永遠の憧れ。

ブラック・ミュージック。絶対踏み入ることのできない未知の領域。

ブラック・ミュージック。とにかく、無理だあ、ジャパニーズには!!!

アース・ウィンド・アンド・ファイアを初めて見た者は、誰もがそう思うだろう。

少なくとも、オレ達はそう思ったぞ。

この躍動感。とんでもないリズム感。グルーヴの波!波!波!

ヨイヤサっと、四拍子がしみこんでいる日本人にはまず無理。体現、不可能。

ほとんどのアーティストは、茨の道を進まず、自分達の手の届く範囲の表現に収まる。

ブラック・ソウル・ミュージック。さあ、ほんとに日本人には出来ないんでしょうか?

でも、いたんですね。驚くべき表現力で、これをやってのけちゃったグループが。

トランペット奏者であるリーダーの新田一郎を中心に結成されたスペクトラムは、

1979年にデビュー。

原型は、あいざき進也とキャンディーズのバックバンドと言われている。

スペクトラム最大の特徴は、

新田をはじめ、ギターの西慎嗣ベースの渡辺直樹の3人によるヴォーカル

特に、新田のファルセットヴォーカルは素晴らしく、EW&Fのモーリス・ホワイト

さながらのパワーに満ち溢れていた。

日本人離れしたソウルフルなサウンドで、多くのファンを獲得したスペクトラム。

残念ながら、1981年、日本武道館でライブを最後に解散となる。

再結成を望まれ、今なお支持者が後を絶たないバンドだが、

以来、公の場に姿を現すことはない。

さ〜そ | 17:28 | - | - | - | - |
新月
新月
ベル・アンティーク

 

表現するってこういうこと

新内閣発足だ〜!バンザーイ!

って、なわけねえだろ!!!!

何回代えりゃ、気が済むんだ!!ごらぁああああああ!!!!

これからの学生が可哀想じゃないか。

「歴代総理大臣の名前を述べよ」って問題で、膨大な人数を覚えなきゃならん。

まあ、野田さん、あの人はとりあえず、べしゃりがうまいな。

小泉純一郎に向かって、

「ルパンだって三世までですよ!!」

と、小泉家世襲制に対して喝を入れたあのセンスには、脱帽だ。

見習いたい。

自らを「どじょう」に例えて表すところもなかなか。

菅さんはべしゃりがヘタだったな。小泉みたいに、デーハーパフォーマンスに

徹しろとは言わないが、政治家っていうのはある程度の表現力が必要だ。

商業的パフォーマンスではなく、己が創造し得たものをどうやって吐き出すか。

これが難しいのよ・・・

日本のプログレ・ロック史において、今なお伝説とされるバンド「新月」。

「前世は、アトランティス時代のキチガイ学者だった」という

キーボードの花本彰を中心に結成、活動を始める。

ブルースやゴリゴリのロックより、美しいメロディを持ったポップな曲に

惹かれたという花本が、プログレに傾倒していくのは道理。

あと色々書くと、長くなって面倒なんで割愛するとして、結果として

これが日本のシンフォニック・ロック、屈指の名作「鬼」を生み出すことになる。

いや〜。驚くね、この抒情性には。

詩情溢れるのメロディに乗せられた繊細なアレンジ。

そして、あの息を呑むような独特のパフォーマンス!

今もって高い評価を受ける完成度、ハイクォリティな芸術性は必聴&必見だ!

CD出せば、誰でもアーティストを名乗っちゃう昨今、

芸術とは何か、アーティストとはどういう物なのか、こいつでよくわかるはず。

そして、民主党のみなさん!表現するってのは、こういうことだ!

今度こそ、世論に惑わされんなよ!

己が道を信じろ!しっかり政治表現してくれ!

・・・・もう、首相の名前覚えられねえんだからさ。

さ〜そ | 23:43 | - | - | - | - |
赤痢
赤痢,赤痢,みゆ,あや,くみこ,JOJO広重
インペリアルレコード

オンナとロック

レディ・ガガ、ニューアルバム近日発売。

大御所マドンナが愛娘との服作りにいそしんでいる間に、快進撃だ、ガガ様。

おかげで、マドンナの存在がめっきり薄くなっちまった。

学生時代、同級生から廊下を通るたびに「ブス」「デカ鼻」「アバズレ」と蔑まれていた

(本人談。確かにブス)変わり者のクソ真面目な女学生が、

一念発起してここまで登り詰めた。

たいしたもんだ。拍手喝采。

どう考えてもマドンナのパクリとしか思えない新曲といい、どこかで聴いたような曲の

オンパレードだが、アメリカのシーンは現在この人に頼るしか手段がない。

っつうか、もう男がだめだ、アメリカ。

ケイティ・ペリーにテイィラー・スィフト、リアーナ、アギレラ姉貴。

全部、女じゃねえか。

どうした?男ロック?おっ死んだか?

いつだったか、スラッシュがインタビューで嘆いていたぞ。

「男性でエモーショナルな表現をするヴォーカリストはいなくなった」

アクセル・ローズというエモーショナルの極致にいる人間と長年組んできた

スラッシュのお言葉は重い。かなり説得力がある。

ジャスティン・ビーバーじゃ、いい子ちゃんすぎて物足りねえのよ!

古今東西、女性は強い。しかも、縛りがあまりない分、男性より自由だ。

女性の起業家が多いのもそのせい。

簡単に事を起こして、けど、だめとなったら簡単に潰しちゃう。めちゃ自由。

女のロックバンドも同様。

「絶対これで生きていくんだ」とか、そういう気構えはない。

あまり深いこと考えずにとりあえずやってみる。

1983年、赤痢が活動開始した時、彼女たちはまだ中学生だった。

誰一人として楽器経験がなく、パンクだのロックだの、

そういうジャンルさえわからない。

ともかくやってみよう、という感じで始まった。

恐ろしいほど自由なサウンド。

男性にありがちな試行錯誤がなく、思いのままに曲を作り演奏する。

歯止めがきかないほど自由だから、曲のタイトルに

「夢見るオマンコ」なんてつけても平気のへっちゃら。

まあ、バンド名に「赤痢」なんてつけてるんだから、どうってことないだろう。

誰かに影響されたとかそういうのもない自由闊達な楽曲は、

不思議と心地いい。

女性パンクバンドの草分け的存在として95年まで活動し、

後続のガールズバンドに多大なる影響を与えた赤痢。

「オトコになんか任せてらんないワ」という日本の女子諸君。

是非、聴いてみなされ。



Artist : Sekiri
Recommend Album : SEKIRI NO HANAZONO

They were  the girls rock band in 80's formed in Kyoto in 1983
when they were junior high school students.
When their record released for the first time, it became the topic
because title of the song was very radical.
They played naturally and freely.
Although they supported by some enthusiastic fans, stopped act
in 1995.

さ〜そ | 16:16 | - | - | - | - |
サンディー&ザ・サンセッツ
サンディー&ザ・サンセッツ
Sony Music Direct

エキゾチック・サンディー

いかがでしたか?前回の記事は?

いや〜、それにしても今の若い人ってのは、演奏うまいね!!

楽曲も驚くほど複雑だし。すげえよ。

みんな、(特に我々世代の人間は)、今はろくなバンドがいないとか言うけど、

そんなことないじゃんか。

いかなるときでも、その時代にあったサウンドが必ず存在するってもんだ。

あそこにあげたバンドは、若い世代に絶大な支持を得ているわけだが、

いずれも今の空気にぴったりマッチしている。

あと、カジュアルが似合うのが条件だな・・・(ヴィジュアル系がウケないわけだ・・・)

何よりも若いってのは、いい。それだけで勢いがあって、カッコいいぜ・・・

たとえ、演奏技術がなくとも、歌唱力がいまいちだろうとも

若さに勝るものは、ない。

いつの時代でも、ロックにはリアルな存在が必要だ。血の入れ替えもね。

懐古主義していちゃいけないかもしれん。

そんなオレはRADWINPSに、かなりヤラれ、現在ヘビロテ中。

ミイラ取りがミイラになっちまった。はっはっは。

まあ、それはいいんですけど!!

こんなこと言いつつ、本ブログの主旨を果たすべく、

また時代を逆行してお届けしましょう・・

日本人とスペイン人のハーフとして生まれたサンディーは、

美貌と抜群のプロポーションで、グラビアアイドルとしても活動しつつ、

歌手としても頭角を現し始めた。

9歳から歌っていたという歌唱力で1976年、世界歌謡祭グランプリ獲得。

これを機に、本格的にシンガーの道を歩み始める。

1980年には、細野晴臣プロデュースによるソロアルバムを発表するが、

サンディーの名を一躍有名にしたのは、なんと言っても

自身の名をフューチャーした“サンディー&ザ・サンセッツ”。

裸のラリーズのメンバーでもあった久保田真琴が、ラリーズと平行して結成した

“夕焼け楽団”を母体に、82年、バックヴォーカルとして参加していた

サンディーを正式に迎え入れたことでスタート。

グラマラスなパーフェクトボディを惜しげもなく晒す、露出度の高い衣装で

歌うサンディーの姿は、アグネス・ラム同様、男性ファンを虜にした。

アジアンポップを得意とする久保田の楽曲と、サンディーの美しいハイトーンヴォイスは

ぴったりとマッチし、次第に海外での知名度を上げていくようになる。

しかし、90年代に入ると、サンディーは再びソロにシフトチェンジし、

夫婦であった久保田とも後に離婚。

その後、サンディーさんはどうしたかと言うと・・・

傾倒していたフラにのめりこみ、ハワイアン・ミュージックのアルバムをリリース。

フラの教師としても活動中で、たまにちょこちょこそのテのイベントに登場するらしい。

ちなみに、現在もナイスバディを維持し、巨乳も健在だそうで。



Artist : SANDII AND THE SUNSETZ
Recommend Album : VIVA LAVA LIVA

SANDII AND THE SUNSETZ is the group which SASNDII was a beautiful vocalist  of this and played an active in 80's.
Though SANDII acted as  a model, she has started her singer's work
because of  getting a prize of World songs  festival in 1976.
They were populer not only  in Japan also  foreign countries with
Asian pop music and SANDIIS voice.
They stopped act from 1990 onward and SANDII plays as solo with 
Hawaian Hula.

 

さ〜そ | 18:37 | - | - | - | - |
シーナ&ザ・ロケッツ

ロックやっても、親は親。

伝説のバンド、サンハウスで活躍した鮎川誠が、愛妻・シーナと結成したバンドが

シーナ&ザ・ロケッツ。妻の愛称を、そのままバンド名にするラブラブ振りは、スゴイ。

いいよね〜、夫婦でおんなじバンドにいて、おんなじ音楽やれて。・・・って

傍から見ると、HAPPYそのものに思える状況。

しかし、共稼ぎで働く夫婦が抱える問題は、職業問わず万国共通。

そう。育児であります。

やれ、保育園が足りないとか、待機児童がン万人とか、

色々取りざたされている昨今。

これは、学ぶべき好例であるかもしれない・・・

サンハウス解散後、シーナとともに新しいバンドを始めようとしていた鮎川誠は、

拠点を故郷である福岡から、東京へ移すことを考えていた。

これが、フツーに「東京で一発あてたる!」とか言っていられるフリーターロック少年

だったら、話はカンタン。

しかし、夫婦の間には、幼い双子の女の子がいた。

幼子を抱えた夫婦は、悩んだ。こどものためにも、

やはりここは、福岡にとどまるべきか・・・

東京での活動を諦めかけた時、シーナの実母の一言が後押しした。

「こどもは、面倒見るから、東京行って一発あててこい!」

心は、決まった。

そして、1978年シーナ&ロケッツとして、シングル「涙のハイウェイ」

デビューを果たす・・・

その後の活躍は、知っての通り。2008年には、デビュー30周年を迎え、

ますます好調のシナロケである。

50の大台にのっても、シーナはいまだにミニスカが似あうイイ女だ

「親が元気で同居してんだもん、ラッキーでしょ」

それは、そうかもしれない。が、核家族化が進み、親との関係が希薄になっている

夫婦が多いのは、事実。お互いに干渉しあわない代わりに、助けてももらえない。

昔は、こんなに保育園も学童も必要なかった。祖父母はもちろん、隣近所で

助け合って、面倒みてくれたからなあ。

もちろん、シーナ&鮎川が、じいちゃんばあちゃんに育児を押し付けっぱなしだった

わけではない。地元に帰れば、よき母、父としてこどもと過ごす。

あきらめきれない何かかがあっただけだ。

子育て支援が足りん、と政府に文句言う前に、ここはひとつ自分たちの状況を

見直してみるっつうのは、どうでひょうか?

(・・って、何のコラムだ・・・)



Artist : SHEENA AND THE ROCKETS
Recommend Album : ROCK ON BABY

Makoto Ayukawa was planning to forme the band
with Sheena who is his wife, havng children.
In 1978, they left their children in Sheena's mother's care amd
went to Tokyo from Fukuoka to act with their group.
Thus it was that SHEENA AND THE ROCKETS debuted with
1st single,"NAMIDA NO HIGHWAY"

SHEENA AND ROCKETS is only a few group couple work in
corporation, acting now.
さ〜そ | 14:18 | - | - | - | - |
THE STAR CLUB(ザ・スタークラブ)
THE STAR CLUB
ビクターエンタテインメント


パンクの帝王

日本が誇る、パンク・ロックバンド、THE STAR CLUB

名古屋が生んだ、偉大なチームだ。

原爆オナニーズといい、すげえパンキッシュな都市だ、名古屋。

77年の結成以来、30年以上、パンク・シーンの最前線に君臨する

その活動の歴史は、音楽同様過激でカッチョイイ・・・

1977年という年は、セックス・ピストルズをはじめとする歴史に残るパンクバンド

が次々とデビューした年。

ヴォーカルのHIKAGEを中心に結成されたスタークラブが、初めてギグを行った

記念すべき年でもある。

全てにおいて破壊的なその演奏は、当時まだパンクの兆候すらなかった

日本のライブシーンにおいて、衝撃そのものだったという。

その後、わずか2回のギグでスタークラブの名前は、一気に名古屋のライブシーン

に知れ渡る。
観客との暴動、暴力的なパフォーマンス・・・

名古屋中のライブハウスから“出入禁止”を喰らうも、暴走族やヤンキー達からは

熱い支持を得ていくようになる。(実際、初代ギタリストのKAORUは暴走族のヘッド)

メンバーがそれぞれ警察にご厄介になるという、事件を繰り返すと同時に

この頃より、バンドのメンバーチェンジが盛んに行われるようになった。

スタークラブのメンバーチェンジは、激しく現在までに、

実に20名以上入れ替わっていると思われる。

81年、NHKのFM番組出演時、熱狂したファンにより演奏は中断。

ギターのキョウジがギターを叩き壊し、大暴れして

司会者に喰ってかかるという事件がおきた。

(この1件により、NHKの職員が一人クビになりましたそうです)

他にも、やくざに連れ去られたとか、ギグやったバンドのメンバーが蒸発したとか

色々ありますが、挙げるとキリがないんで、割愛。

バンドが本格的に東京に進出するのが、1987年以降のこと。

ここで、ようやくメジャーレーベルとの契約に至った・・・

大舞台を蹴り続け、ひたすら自分たちがやりたいようにやってきた。

結果、日本のパンクシーンを代表する「パンクの帝王」となった。

この地位は、もはや揺るぎない。

メディアの力を借りなくても、スポンサーの後ろ楯がなくとも、

リスナーは、本物についてくる。そういうものだ。

自身のブログで、最近HIKAGEがこう書いている。

「完璧さを求めながらも、あえてギリギリのところで崩すのがいい。

完成してしまえばもう次がない。人生もそんなものだ。

突き詰めて突き詰めて、最後はとことんいい加減に決める。その方が面白い。

大切なのはそのギリのとこまでは死に物狂いでやるって事だ・・・」

・・・納得ッス。



Artist : THE STAR CLUB
Recommend Album : SHIKOU SATSUJIN

They are " King of Punk Rock'n Roll"  and has been at forefront
of Japanese punk music scene for over 30 years.

They formed in 1977 and first time to performing.
Their name was known to Nagoya with only two gigs
 because of vandalistic performance and a riot.
Although they had many troubles, yet  they had the support of
young generation, especially " bad boys".

In 1988, they debuted in major music scene but they have kept
stubborn style and are acting as the leading Japanese punk music
of today.


さ〜そ | 11:54 | - | - | - | - |
頭脳警察

武装するロック

宝島という雑誌をはじめて読み始めた頃、同誌で最初に知ったバンドの名前が

「頭脳警察」。

一度聞いたら、絶対に忘れられないほどのインパクトを持つその名の通り、

頭脳警察は、過激で強烈なメッセージとパフォーマンスで

数多くの伝説を持つ、要注意バンドであった。

それには、彼らが活動を始めた頃の時代背景が関係してくる・・・・

1969年、PANTAこと中村治雄とトシ(石塚俊明)により、結成。

当時、日本の政治事情は、非常に危ういものであった。

大学紛争や安保闘争、学生運動の余波が、日本赤軍事件に結びついたり、と

共産主義を掲げる革命が、あちこちで巻き起こっていた時代。

こんなノホホンとした時代に生まれ育った我々には、想像もつかぬほど

過激な時代であった。

この頃に活動をはじめた頭脳警察は、政治的メッセージを盛り込んだ作品を発表。

「反体制バンド」とレッテルを貼られ、要注意な存在とされた。

発売禁止になった、1stアルバム「頭脳警察」。

今聴くと、「なんでコレが発禁???」って

思うような内容だが、それは2010年現在だから言えること。

少しでも異質な行動をとれば、すぐにお縄になっても仕方がないほど

政情不安な世の中であった70’s前半に、

音楽という媒介を通じて、革命的意味合いを持って

これだけの発言をブチかました、

その勇気と知性は、賞賛してまだ余りある。

自身のソロ・アルバムで、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺をテーマにした

アルバムもリリースしている、PANTA。

ただ単に聞き流すだけの無意味な世界は、決して表現しない。

頭脳警察のインテレクチュアルな活動は、現在も続いている・・・・



Artist : ZUNOU KEISATSU
Recommend Album : ZUNOU KEISATSU 1

ZUNOU KEISATSU was thinking of a radical rock band in70's in Japan
that had political unrest.
They sang of Japanese Red Army who was the New Left terrorism,
therefore their album  was Prohibition of sale.
In addition, the Red Army made a speech at a hall of performance
of ZUNOU KEISATSU.
They released many controversial songs, these were
broadcasting prohibition in every case.

They disolved once in 1975,  formed again in 1990 and 2001.




ジューシー・フルーツ
ジューシィ・フルーツ
コロムビアミュージックエンタテインメント

イリアは、上機嫌

1980年代初頭は、今と違ってTVの音楽番組が非常に盛んだった時代。

「ザ・ベスト10」「ザ・トップ10」をはじめ、様々な音楽番組が

毎日のようにTV欄を飾った。

出てくるのは、アイドル歌手ばかりだったから、たまに毛色の違うのが出てくると、

妙に印象に残っていたりする。

「ジェニーはご機嫌ななめ」をひっさげて、出てきたジューシー・フルーツもその一つ。

男女4人組で、紅一点がヴォーカリストのイリアだった。

当時、女性の歌手っていうと、横一列同じ髪型のアイドルちゃんか、

五輪真弓とか大橋純子みたいに、神レベルに上手い大人の女かどっちかしか

いなかったから、ギターを片手に仁王立ちして歌うイリアが、非常に物珍しかった。

1980年にデビュー。前身は、かの近田春夫のバック・バンド「BEEF」だった。

大ヒットを記録した「ジェニーはご機嫌ななめ」は、近田の作曲による。

歌謡曲とテクノの中間のような不思議な雰囲気の曲だが、

イリアの裏声ヴォーカルが、ぴったりマッチしていた。

そう、イリアってなんかルックスもファルセットな感じなんだよね。

なんか突き抜けた透明感があったよなあ・・・

ジューシー・フルーツ自体は、84年に解散。

が、近年その楽曲が改めて見直しされ、

Perfumeをはじめとする、多くのアーティストがカバーしている。

やっぱ、ジューシーも再結成とかになっちゃうのか?

でも、あんま年とったイリアは、見たくないなあ。

あのまんまの記憶を残しておきたい・・・・



Artist : JUICY FRUITS
Recommend Album : Drink!

JUICY FRUITS was a band which supported Haruo Chikada,
and held IRIA as female vocalist who sang in falsetto.
It became a popular group by the smash hit of
"Jenny Wa Gokigen Naname" in 1980.
After that, they released seven albums, and dissolved in 1984.

Their music is revalued, and many artists covers their tunes now.


PSY・S(サイズ)

探求的音楽ユニット

松浦雅也と言えば、ゲーム音楽やマルチメディア・クリエイターとして

有名な人だが、その松浦さんが、80年代に結成したユニットが、サイズ

相棒は、CHAKAこと安則まみで、もともとはジャズ歌手として活動していた。

男女2人だからって、間違ってもこの2人がデキていた、

なんて思う人は、誰もおらず。

仕事以外で、2人で会ったこともない、という倦怠期の夫婦のような活動をしていた

我々が高校時代、サイズのライブに行けた人間は、結構貴重だった。

チケットを見せびらかされたのを、よく憶えてている。

どういうわけかわからないが、サイズはめったにライブをやらなかったからであった。

おそらく最初から、ライブユニットとして活動するというより、

クリエイションに力を注いでいく、という意向があったんではないでしょうか。

CHAKAの伸びやかな声と、緻密な打ち込み系サウンドは

不良とかジャンキー系がお嫌いな方々のツボを捉えていた。

ちなみに、個人的に言うと、

苦手だった

だってぇえ、素直すぎるんだもぉおん・・・・

心を洗いたい、という人には一聴することをお奨めしますよ。



Artist : PSY・S
Recommend Album : PIC- NIC

PSY・S is a music unit by the man and woman (Masaya Matsuura and
Chaka) formed in 1983.
They rarely did live because they had given priority
to the album production chiefly.

Masaya Matsuura produces game music after it dissolves
 in 1996, and Chaka is active as the jazz singer.

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