宝島ひとり〜80年代〜90年代日本ロックバンド図鑑

主に80年代〜90年代に活躍した国内ロックバンドを紹介しています・・・
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This is a blog that introduces the rock bands of Japan from the 80's to the 90's.
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アクシデンツ

すごく普遍的なバンドの普遍的な経歴

ACCIDENTS『HUMAN ZOO』
[徳間ジャパン/28JAL-3006] (1985.5.25)
※LPのみ


先月さんざんサボったから今月は怒涛の

10倍返しだぁぁぁぁああああああ!!!!

さあ、連続投稿!いつまで続くんだか。けっ!

今日のお題はアクシデンツ。かなり思いつき。

だいたいスマイリーがバンドやってたなんて事実、知らねえし。

ただのラジオDJだと思ってたわ・・・。

宝島をいかに飛ばし読みしていたかという、乱読癖発覚。

スマイリー原島といえば、最近じゃあフジロックのMCで有名だけんど、

その出発点がアクシデンツだったっちゅう。

出身は日本ロック三大聖地の一角、九州は博多。

80年代初頭、わざわざアメリカまでローリングストーンズのツアーを

観に行ったスマイリーはその姿にすっかり触発。

バンドを組むことになったんだとか。よくある話。

メンバーはわりと豪華だった。

ギター二人は元・ザ・モッズ。後に加入するベーシストはマーキーズ、

ザ・ロッカーズで活躍したという強者である。

曲は今聞くとダサい。

ただ80年代ノスタルジィにはどっぷり浸れるので、

R40でタイムスリップ志向の方にはおすすめ。

バンド自体は84年、2枚の音源を発表したのみで解散。

スマイリー自身の活動はバンド解散後に花開く・・・。

あまりにも普遍的すぎるバンドの普遍的な解散劇。

ちゃん、ちゃん。

あ〜お | 16:16 | - | - | - | - |
オレンジ・カウンティ・ブラザーズ
遠い異国のカントリー

♪WE ARE NEVER NEVER EVER♪

テイラー・スイフトの曲を聴くといつも思う。

「これってカントリーか???」

カントリーの歌姫として華々しくデビューしたテイラーだが、

どの曲もカントリーとは程遠い、直球ど真ん中のポップソング。

「私はカントリーの世界に新風を吹き込んだの!だから、こういう曲調なの!!!」

とのたまわれれば、それまでですが。

ガガ様やケイティといったひとくせもふたくせもあるメンツと

真っ向から勝負したくないがために、あえてこういう作戦に出たのではと訝りたくなる。

ポップスというジャンルではとりにくいグラミー賞もカントリーなら楽々だし。

男癖も悪いが腹黒さも天下一品のテイラー。実にありうる話。

そもそもカントリーとは何ぞや?と思われる方のために。

「アメリカ南部で発祥し、ヨーロッパの伝統音楽やケルト民謡がゴスペル、讃美歌

スピリチャル等の影響を得て30年代頃に確立したもの」

バーイ、ウィキペディア。だそうな。

ミュージシャンは圧倒的に白人が多く、生まれ育った土地を歌う。

温かみや素朴さ、どこか田舎臭い旋律が郷愁を誘い、

アメリカ本国で絶大な支持率を誇るジャンルでもある。

日本の演歌みたいなもんだと思えばいい。

ロック、ポップス、ブルースとこれまで色んなジャンルをパクってきた日本人も

さすがにカントリーは手が出しにくいようだ。

演歌がその土地に根付いた気風や習わしを元に歌われるように、

カントリーもまた、故郷という大きな座標上に成り立っているからだろう。

でも、それだと本ブログが成り立たないので、探ししてみた。

日本のカントリー。その名も
オレンジ・カウンティ・ブラザーズ!

「オレたちゃ。オレンジ郡の兄弟よ!」ってなわけよ!!!

76年にアルバム「オレンジ・カウンティ・ブラザーズ」でデビュー。

カントリーをやるようになった経緯その他はまったくもって不明だが、

日本では珍しい、かなり本格的なカントリーバンドとして名を馳せた。

カントリーの入門としてとっかかりにもちょうど良い。

ドリー・バートンやジョニー・キャッシュと聴き比べるのもまたオツ。

数枚のアルバムをリリースしているオレカンは、現在横浜で同名の

居酒屋兼ライブハウスを経営中。

テキサス風の店内ではカントリー・ロックやテックス・メックスなどが

がんがん鳴り響くんだと。

横浜にお越しの際はぜひ足をお運びになって。ほほほ。

あ〜お | 13:53 | - | - | - | - |
横道坊主(おうどうぼうず)
横道に逸れず

天海祐希の大ファンである。

惚れ惚れするほどイイ女だ、天海。

そろそろ“BOSS”も終盤に近付いているということで、いや、もう終わっちまったか?

常日頃から感じている思いが沸々と湧き上がってきている今日この頃。

沸々と湧き上がる思い。それは、

こんな全方位丸ごとイイ女が一度も結婚できず、なぜaikoのようなへちゃむくれブスに

次から次へと男ができるのか・・・まるで納得がいかねえ。

けど、世の中そんなもんかもしれん。

全員普通以下のルックスの嵐がウケるのも、どう見ても整形としか思えない

韓流KーPOPグループが人気なのも、AKB総選挙で前田が1位になっちゃったのも

考えてみれば納得がいかないことだらけ。

せめて自分だけは、納得がいく生き方をするしかないだろうなあ。

長崎出身のバンド、横道坊主がデビューしたのは1989年。

バンド・ブーム真っ盛りの頃であった。

長崎の方言で“悪ガキ”という意味を持つこのバンド、アグレッシブな

パンキッシュ・ロックで徐々に人気を博すようになる。

メジャーステージで、さあ、これから売れるかぁという矢先、

なんと自らレコード会社との契約を解消。

自分たちで事務所を起ち上げ、独自の音楽活動を開始した。

現在も、都内のライブハウスを中心に精力的に活動中。

メジャーを離れた本当の理由は、よくわからない。

けれど、売るために本意ではないことをさせられ、作りたくもない曲を作り、

タイアップに身を任せ・・・なんてこと、アーティスト魂を持つ人間であれば

いつか疑問に思い、嫌気がさすんでねえか?

“ロック・ミュージシャン25歳定年法”を吠えたばかりではあるが、

長く続けるのなら、これが一番理想のやり方だとは思うな。

その証拠に、横道坊主を長年慕うファンは多く、何もしなくても

映画“クローズZERO”に曲が使われる。

横道坊主は、“横道に逸れず。王道を行くものなり”

ちゃん。ちゃん。

あ〜お | 18:42 | - | - | - | - |
アフター・ディナー

大人迷宮的不思議百景

大阪で音響芸術を学んでいたHACOを中心に、

1981年、神戸で結成されたアフター・ディナー。

作詞・作曲・ヴォーカルをHACOが担当。民族音楽、電子音楽といったものをベースとし、

そこに様々な音をコラージュのように、重ね合わせていく。

それは、時には虫の音であったり、風の音であったり、ゼンマイの音鳥のさえずり・・・

HACOのイノセントで無機質なヴォーカルとともに、聴く者を音の迷宮世界に誘い出す。

80年代初頭、まだヒーリング・ミュージックという言葉さえなかった時代。

おそらく、このテのジャンルの、元祖といえる音楽であろう。

1983年、ファースト・アルバム”グラス・チューブをリリース。

独自の美学を追求したこの作品は、多くの海外アーティスト達から支持される。

その後、英国でもアルバムを発表、ヨーロッパツアーを行うなど、

海外を中心に精力的に活動を続けていく。

そのライブは、日本の音楽シーンを覆そうとする小さな底流

イギリスのメロディ・メーカー誌が、絶賛したほど。

海外ミュージシャン達を次々と虜にし続けたまま、1991年、

その活動に終止符が打たれた。

廃盤になっていた作品群は、20年以上を経てリマスタリング & 紙ジャケットで復刻され、

日本のロック名盤として、再び注目を集めている。

これだけ高い評価を得ているアフター・ディナーだが、残念ながら

日本において、その名はほとんど知られていない。

HACOがそれでいいと思っていたのか、それとも日本に見切りをつけていたのか、

その辺は不明だが、いずれにしろ、どこか未熟で幼稚な文化を良しとする

(嵐に沸き立ってる程度なんだからな・・・)大多数の日本人には、理解しがたいアートだろうよ。



Artist : AFTER DINNER
Recommend Album : GLASS TUBE

HACO was studying a sound art  in Osaka and formed a group
"AFTER DINNER" in Kobe in 1981.
They built an original style which use various natuer sounds or
sound of machine etc..
They released "GLASS TUBE"as the first album in 1983.
Althougn it was independent work, their sound was praised highly
by many artists in foreign countries.
They had Europe tour in 1987, their performance praised by
"Melody Maker" which is famous music magazine in U.K.
They dissolved in 1991 but reproduction of their album is 
a masterpiece of Japanese rocks today.

あ〜お | 18:05 | - | - | - | - |
EP-4

反逆のエレクトリック・ファンク

アルバムジャケットに使われたのは、昭和を震撼させた

”金属バット殺人事件”が起こった家。

本作がリリースされた当時は、そのことばかりが取り沙汰されて、

肝心の音に関する評価が、ついてこなかったような気がする。

じゃあ、改めてどうなの?ということになるが、

83年という時代背景に照らし合わせると、このテのサウンドは、

すでにYMOが打ち出していたし、ファンクという部分で聴いても、

独自の観点から一級品の芸術に仕立て上げた、

じゃがたらのそれにはどうしても見劣りする。

じゃあ、だめかっていうとそういうことではない。

テクノ的手法を最大限に用いたサウンドは、最高にエッジィだ。

日和見で温室育ちな曲が蔓延する、現在のヒットチャートにぶち込めば、

間違いなくカンフル剤になり得る。

これだけの音楽が、さして珍しいとは思えないほど、80年代の音楽シーンは

先鋭的だったということに、改めて震えたりして・・・

1980年、地元・京都のシーンを活性化させるため、結成されたEP-4。

リーダー、佐藤薫の「肉声を用いないヴォーカル」と、

ファンクベースのテクノ・サウンドは、瞬く間に、かの地で話題を呼ぶ。

オリジナル・アルバムとして発表されたのは、本作のみ。

当初は、「昭和崩御」という、

極右団体からとび蹴りされそうなタイトルがつけられていたが、

そういうことも配慮されてなのか、「昭和大赦」に変更されたという逸話がある。

自身の存在を世に知らせるため、サウンドのみならず、様々な戦略的手法を用いた

と言われているEP-4だが、冒頭に述べたアルバムジャケットもそのひとつ。

狙い通り、日本の音楽ファンはその挑発に思う存分乗っかった。

それだけでも、役割は十分果たしたと言える。



Artist : EP-4
Recommend Album : SHOWA  TAISHA〜
                                   RINGUA FLANCA 1

EP-4 was a band  playing a techno pop and funk music  formed in KYOTO
in 1980.
KAORU SATO took the lead of a gruoup and made the sound.
They made full use of many sound machines without a natural voice
and made their sound sharpen.
They released only a album that using a photoglaph of  a house occured
"marder with a matal bat" for a artwork for this one.

あ〜お | 21:07 | - | - | - | - |
安全地帯

今が旬。

安全地帯、今が旬。・・ってなわけで、やっちまおう(笑)

玉置浩二が連日のように、やらかしてくれるワイドショーネタはさておき、

(語りて〜)本ブログは、表向きレビューブログのため、

ここは純粋にバンド紹介をしていくこととする・・・

安全地帯は、1973年、北海道は旭川で結成された。

結成当初から、実力のあるバンドとして名を馳せ、数多くのコンテストに出場。

そのうち、北海道癸吋丱鵐匹箸靴特里蕕譴襪茲Δ砲覆襦

1982年井上陽水バックバンドを務めたことをきっかけにデビュー。

が、実質的な活動は、陽水のバックバンドのみで、

自身のレコードは売れず、苦しい日々を送っていた。

そして、翌年。転機が訪れる。

1983年初頭に発表された1stアルバムからの曲、

「ワインレッドの心」がCMに起用され、大ヒットとなったのだ。

安全地帯の代表曲ともいえる、この名曲は、

後に、日本をはじめとするアジアの数多くのアーティストによって

カバーされるようになる。

その後、次々にヒットを飛ばし続けた安全地帯は、

多彩な楽曲と、玉置のダイナミックかつ繊細なヴォーカル、

他のバンドを寄せ付けないほどの卓越した技量により、

80年代を代表するロックバンドとして、その名を刻んだ。

しかし、80年代後半から、玉置をはじめとするメンバー個々の活動が

目立つようになり、90年代以降、実質的に活動休止状態が続いた。

んで、満を持して、2010年。メンバー全員50代。(大丈夫か?)

玉置は、離婚歴3回、4度目の結婚にして、

安全地帯完全復活!!!!

が、成されたわけですヨ。

もう、あとこの辺の情報は、あえて書く必要もナシ。

ワイドショーで楽しんでください(笑)

玉置浩二の人間性は、ともかく、

安全地帯っていうのは、すげえいいバンドだ。これだけは、事実だ。

ミュージシャンの人間性ってのが、そのまま音楽に反映されるわけじゃないんだなぁ

と、しみじみ思いつつ、今日もワイドショーにわくわくするオレ。



Artist : ANZENCHITAI
Recommend Album : Remember to Remember

ANZENCHITAI is a  band  taht is represented  in 80's,
and having many hit tunes.
They formed in 1973 in Hokkaido, and participated in many contests.
They debuted as back band for YOUSUI INOUE in 1982,
and released 1st album in early in 1983.
They made a great hit with the song,"WINE RED NO KOKORO"
which a major turing point for a band.
After that  they released  hit songs in succession, and won
fame as top group.

Although they stopped act in 90's, restarted the activity
as the band in 2010, and will perform in not only Japan
but also each country of Asia.

あ〜お | 21:45 | - | - | - | - |
THE ALFEE(アルフィー)
THE ALFEE,高見沢俊彦,高橋研,青木望,新田一郎,井上鑑,武部聡志,本田優一郎,森俊之
(2004-08-25)

“ドリームジェネレーション”、アルフィー

高校時代、「ドリームジェネレーション」っていう漫画が、クラスで流行って

みんなで回し読みした。(少年キング連載。今じゃ廃刊だっつうの・・・)

アルフィーを結成前から描いたこの漫画は、非常に面白く、

アルフィーファンでも何でもなかったオレも、けっこう真剣に読んだ。

1974年にデビューしたアルフィーは、もとは“コンフィデンス”という

4人組のフォーク・グループだった。

「ドリームジェネレーション」連載当初から、焦点を当てられていたのが

高見沢俊彦

漫画の作中、高見沢俊彦は、レッドツェッペリンを愛する、ロック少年であった。

ツェッペリンの音楽に傾倒する彼は、ひたすらギターの練習に励んだ。

細かいことは、忘れたがしばらくして出会うのが、坂崎幸之助

天才的なギターテクニックを持つ、坂崎の存在に高見沢は圧倒される・・・

と、描かれていた。(と、思う。)

この二人に、“荒川村のウグイス坊や”の異名を持つほどの美声の持ち主、

桜井賢が加わり、アルフィーの母体ができあがる。

その後、“コンフィデンス”結成当初のメンバーが一人抜け、3人になったところで

“アルフィー”に改名。その頃から、フォークよりもロック色を濃くしてゆく。

長い間ヒットに恵まなかったが、83年、「メリーアン」の爆発的ヒットによりブレイク。

以降は、誰もが知っている通りの活躍ぶりだ。

ヒットを飛ばし続けても、ライブに重点を置く活動を継続し、年間公演回数は

常に100回を軽く超え、結成31周年には、国内バンドとして前人未踏の

単独有料公演回数2000回を記録した。

また、決して、地方をおろそかにせず、どんな小さな町でも

公演を行うスタンスを貫いてきた。

そして、アルフィー最大の武器は、良質なファンに恵まれていること。

(グルーピーまがいのとりまきしかいない不幸なバンドってたくさんあるからねぇ。)

知っている限り、自分をしっかり持った、常識のある人が多い。

アルバムが出るたび、きちんと購入し、足しげくコンサートに通い、

常に暖かい声援を送り、支え続けている。

ファンとアーティストの間に、対等ないい関係が築かれている。

本人たちの人柄もあるんだろうが、こういうファンを持ったグループは

鬼に金棒だろう。

“ドリームジェネレーション”から、スターダムへ上り詰めたアルフィーは、

これからも優秀なファンと二人三脚で歩んでいくに違いない。

余談 : ファンの間でも“幻の漫画”と言われ、入手困難だった

「ドリームジェネレーション」は、復刻され、発売中。

メンバーに直接取材し、描き上げたというだけあって、信憑性は高い。

アルフィーファンでなくても、音楽の道を志した若者たちが、挫折し、

落ち込みながらも道を切り拓いていくドラマとして充分見ごたえあります。

THE ALFEE 公式HP

http://www.alfee.com/



Artist : THE ALFEE
Recommend Album : 30th ANNIVERSARY
                               HIT SINGLE COLLECTION 37 

THE ALFEE is a group who has the record for the most performance
in Japan since they debuted.

They have 44 songs that has been placed continuously
in the sales chart in Japan since 1983.

They have kept acting now as one of the foremost group in japan
.

エレファント・カシマシ
エレファントカシマシ
ユニバーサル・シグマ

無骨なアニキの最高の賛歌

ロッキン・オン・ジャパン編集部が、毎回新作が出るたび、

手放しで絶賛するバンド、エレファント・カシマシ

社長に渋谷陽一を据える、日本一ロックに造詣の深い編集部を

常に虜にする、硬派バンドには、年々支持者が増加している・・・

90年代に登場したイメージがあるので、意外だが、

エレカシのデビューは1988年、結成自体は1981年と、わりに古株。

デビューから現在まで、レコード会社を4社も移籍。

97年、「今宵の月のように」が大ヒット。

ドラマ主題歌に起用されたため、一躍お茶の間にその名が知れ渡る。

多くの人がそうであるように、自分もこれでエレカシのことを知りました・・・

この頃から、メディアへの露出が多くなり、

エレカシというバンドに注目が集まるようになる。

衆目は、主に中心人物である宮本浩次へと向く。

このアニキ、音楽番組では異常にしゃべりまくるわ、ラジオ番組ではDJに

タンカを切るわ、で、一時期世間から「キテレツキャラ」扱いを受けていた。

世間の目は、どうあれ、個人的に言わせてもらえば、

このアニキは何をしても憎めない。っていうか、むしろ好きだ。

率直で不器用。何をやるにも細かい計算ができない。

レコード会社を移籍しつづけ、己の音楽を不器用に模索し、

手探りでようやくたどり着いた、今のサウンド。

無骨で不器用だが、聴くものを引き離すことは、絶対にしない。

最高の賛歌だよ・・・

公式HP→ http://www.elephantkashimashi.com/



Artist : Elephantkashimashi
Recommend Album : NOBORERU TAIYO

Elephantkashimashi is one of very few band that praised
very highly by the famous music magazines in Japan.

debuted in 1988, and it has acted for 20 years or more
by the same member.

They has transfered their registration to
four recording labels in 20 years.
It is a basically simple sound
though their music changed in 20 years, too.

Elephantkashimashi is active now as a popular band
among a wide generation.
INU(いぬ)
INU
徳間ジャパンコミュニケーションズ

伝説のパンクバンド

町田康っていうと、芥川賞作家として有名な人であり、

「ロビンソンの庭」などの映画に出演した俳優であり、

最近だと、酔っ払った布袋寅泰にぶん殴られて、警察に訴えた

とかいうセコイ醜聞が記憶に新しい。

これは、町田康が有名作家ではなく、セコイ醜聞もなく、

「町田町蔵」と名乗っていた頃のお話。

1979年、当時高校生だった町田を中心に結成されたパンクバンド、

INUはその2年後、1981年にメジャーデビューを果たす。

そして、アルバム「メシ喰うな」を発表・・・・で、そのまま解散する。

そんなわけで、INUとしてリリースしたアルバムは、たった1枚、これだけ。

おかげで、INUについて知っている人ってのが、周囲にいない。

ただ、この名前だけは一人歩きのように、あちこちに出回っている。

名称は、ただ一つ

「伝説のパンクバンド」

その名がふさわしいかどうかは、曲を聴いてみなさんが判断してください。



Artist : INU
Recommend Album : MESHI KUUNA

This is a punk band which called "Japanese punk band of legend".
They debuted in 1981.
After that, they released only one album and dissolved.
“MESHI KUUNA" is known as a work that represents Japanese punk.
オフコース
オフコース,小田和正,鈴木康博,山上路夫,山川啓介,東海林修,松本隆,ランディ・グッドラム,馬飼野俊一,青木望,矢野誠
(1998-05-21)

世界一せつないラブソング

その昔まだ子供だった頃、姉が聴いていた一本のカセットテープから

流れた一曲。

子供でも胸を締め付けられるせつないラブソング。

生まれてはじめて音楽というもので涙を流した瞬間でありました・・・

オフコースの「さよなら」は、当時の小中学校における合唱コンクールで

課題曲として採用されるほど、絶大な人気を誇る国民的名曲となった。

うるさ方の教育委員会や教師たちでさえ、認めさせてしまうほど

優れたラブソングを生み出したオフコースは、1970年にデビュー。

当初はフォークバンドとして活動していたが、長いことヒットに恵まれずにいた。

そしてついに、結成10年目に「さよなら」を発表。

爆発的なヒットとなり、一躍人気グループとなった。

「愛をとめないで」「言葉にできない」「YES−YES−YES」など

もう説明する必要がないほどの数多くの名曲を世に送り出した。

あまたある歌番組にはいっさい出演しなかったことも

かえってグループの価値を高めた。

日本のトップグループとして音楽シーンを牽引し続けたが、

89年、惜しまれつつも解散。

その後、小田和正をはじめとする各メンバーはソロで活動。

特にあの氷室京介も憧れてやまないという、小田和正の天性の

美声は、彼自身による様々な名曲に乗って、今もって我々の耳に届けられている

ことは周知の事実。

今でも「さよなら」は、自分の中で世界一せつないラブソングだ。

これを超える名曲は、そうそう見つからない・・・



Artist : OFF COURSE
Reccomend Album : OFF COURSE GREATEST HITS

Kazumasa Oda is known to the public as great musician,

who belonged to a group, OFFCOURSE.

One of my favorite love song is "SAYONARA" as the maximum hit 

in 1979 in Japan.

They made various love songs and whice were populer among

young generation.

They dissolved in 1989 with it supported by a lot of people.



 

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