宝島ひとり〜80年代〜90年代日本ロックバンド図鑑

主に80年代〜90年代に活躍した国内ロックバンドを紹介しています・・・
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This is a blog that introduces the rock bands of Japan from the 80's to the 90's.
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- | 20:55 | - | - | - | - |
お知らせ

本ブログは、10月よりリニューアルし、新URLへ移行致します。

移行先は準備でき次第、ご案内致します。

移行期間中は休載となります。

ご不便おかけしますが、何卒よろしくお願い申し上げます。

- | 12:07 | - | - | - | - |
アクシデンツ

すごく普遍的なバンドの普遍的な経歴

ACCIDENTS『HUMAN ZOO』
[徳間ジャパン/28JAL-3006] (1985.5.25)
※LPのみ


先月さんざんサボったから今月は怒涛の

10倍返しだぁぁぁぁああああああ!!!!

さあ、連続投稿!いつまで続くんだか。けっ!

今日のお題はアクシデンツ。かなり思いつき。

だいたいスマイリーがバンドやってたなんて事実、知らねえし。

ただのラジオDJだと思ってたわ・・・。

宝島をいかに飛ばし読みしていたかという、乱読癖発覚。

スマイリー原島といえば、最近じゃあフジロックのMCで有名だけんど、

その出発点がアクシデンツだったっちゅう。

出身は日本ロック三大聖地の一角、九州は博多。

80年代初頭、わざわざアメリカまでローリングストーンズのツアーを

観に行ったスマイリーはその姿にすっかり触発。

バンドを組むことになったんだとか。よくある話。

メンバーはわりと豪華だった。

ギター二人は元・ザ・モッズ。後に加入するベーシストはマーキーズ、

ザ・ロッカーズで活躍したという強者である。

曲は今聞くとダサい。

ただ80年代ノスタルジィにはどっぷり浸れるので、

R40でタイムスリップ志向の方にはおすすめ。

バンド自体は84年、2枚の音源を発表したのみで解散。

スマイリー自身の活動はバンド解散後に花開く・・・。

あまりにも普遍的すぎるバンドの普遍的な解散劇。

ちゃん、ちゃん。

あ〜お | 16:16 | - | - | - | - |
今週のipodな1曲

ディーバ新作対決  Katy・Perry vs Lady Gaga

シャレで勝負に出たケイティに軍配。

Katy・Perry /Roar



Lady Gaga / Applause

- | 14:49 | - | - | - | - |
ダウン・タウン・ブギウギ・バンド
ダウン・タウン・ブギウギ・バンド
EMIミュージック・ジャパン

港のヨーコは生きている

ここ数年、8月はほとんど仕事をしないことを

モットーにしている我が輩。

海に川に博物館に映画♪

遊びまくっているうちに夏が終わっちまった・・・・。

あとはワークアウト、ヨガ、昼寝に妄想・・・。

何かと忙しい大人の女。

久しぶりにブログを開いたら、

やべえ!8月投稿数ゼロになってんじゃんか!

まあ、こんなもん更新されなくてもそうそう気に留める輩もいないんだろうが、

かりそめにもアクセスする人がいるからにはそうはいかん。

ちゃらいことぬかしながら、規律だけは守りたい日本人。

あげちゃいますよ〜♪ 何をだ!

本日のテーマはダウンタウンブギウギバンド

別に意味はないけど、思いつきで。

ダウンタウンブギウギバンドといえばこれ。

「港のヨーコ、ヨーコハマ、ヨコスカ〜」

ですよ!

横浜という地名をこの曲で初めて知ったオレとしては感慨深いものがある・・・。

メインフレーズ以外は全て宇崎竜童の語りで形成される楽曲。

リリースは1975年。当時は衝撃を持って迎えられた。(と思う)

阿木曜子による延々と連なるセリフの羅列を

腐ることなく淡々と語り続ける竜童の姿はともかく新鮮であった。

その後も数々のヒット作を送り出したが、レコード会社との対立など

様々な理由から81年、惜しくも解散。

解散してからの宇崎個人の活躍は周知の事実。

ミュージシャンのみならず、俳優としても名を馳せている。

もったいないねえ。そこで言いたい。

「あんた、あの娘のなんなのさ!」

た〜と | 19:45 | - | - | - | - |
オレンジ・カウンティ・ブラザーズ
遠い異国のカントリー

♪WE ARE NEVER NEVER EVER♪

テイラー・スイフトの曲を聴くといつも思う。

「これってカントリーか???」

カントリーの歌姫として華々しくデビューしたテイラーだが、

どの曲もカントリーとは程遠い、直球ど真ん中のポップソング。

「私はカントリーの世界に新風を吹き込んだの!だから、こういう曲調なの!!!」

とのたまわれれば、それまでですが。

ガガ様やケイティといったひとくせもふたくせもあるメンツと

真っ向から勝負したくないがために、あえてこういう作戦に出たのではと訝りたくなる。

ポップスというジャンルではとりにくいグラミー賞もカントリーなら楽々だし。

男癖も悪いが腹黒さも天下一品のテイラー。実にありうる話。

そもそもカントリーとは何ぞや?と思われる方のために。

「アメリカ南部で発祥し、ヨーロッパの伝統音楽やケルト民謡がゴスペル、讃美歌

スピリチャル等の影響を得て30年代頃に確立したもの」

バーイ、ウィキペディア。だそうな。

ミュージシャンは圧倒的に白人が多く、生まれ育った土地を歌う。

温かみや素朴さ、どこか田舎臭い旋律が郷愁を誘い、

アメリカ本国で絶大な支持率を誇るジャンルでもある。

日本の演歌みたいなもんだと思えばいい。

ロック、ポップス、ブルースとこれまで色んなジャンルをパクってきた日本人も

さすがにカントリーは手が出しにくいようだ。

演歌がその土地に根付いた気風や習わしを元に歌われるように、

カントリーもまた、故郷という大きな座標上に成り立っているからだろう。

でも、それだと本ブログが成り立たないので、探ししてみた。

日本のカントリー。その名も
オレンジ・カウンティ・ブラザーズ!

「オレたちゃ。オレンジ郡の兄弟よ!」ってなわけよ!!!

76年にアルバム「オレンジ・カウンティ・ブラザーズ」でデビュー。

カントリーをやるようになった経緯その他はまったくもって不明だが、

日本では珍しい、かなり本格的なカントリーバンドとして名を馳せた。

カントリーの入門としてとっかかりにもちょうど良い。

ドリー・バートンやジョニー・キャッシュと聴き比べるのもまたオツ。

数枚のアルバムをリリースしているオレカンは、現在横浜で同名の

居酒屋兼ライブハウスを経営中。

テキサス風の店内ではカントリー・ロックやテックス・メックスなどが

がんがん鳴り響くんだと。

横浜にお越しの際はぜひ足をお運びになって。ほほほ。

あ〜お | 13:53 | - | - | - | - |
フラットバッカー
FLATBACKER
ビクターエンタテインメント

ボヘミアン・メタル

「FLATBAKCER」という名を知らなくても、「E.Z.O」と言えば

聞き覚えのある人は多くいるのではないかと思う。

現にこうやって紹介している本人がそうである。

ふらっとばっかー?なんのこと?という感じだが、

E.Z.Oでやっと納得したくらいなんで。はい。

メタルなんぞ大して興味もない自分が名前を記憶していたんだから、

それなりの知名度であったことをまず言っておきましょー。

一つのバンドで名前が二つ。それにはこーゆーわけがあったそうな。

1982年、札幌で結成。当時のバンド名は「FLATVACKER」だ。

(ややこしいな、もう)

活動から2年後、「皆殺し」という作品をデモテープで発表。

これが音楽評論家の目に留まり、雑誌で記事として紹介される。

「北海道にすごい連中がいる」と話題を呼んだ。

バンドはその後、ビクター主催のコンテストで見事入賞。

85年、「戦争ーアクシデント」でメジャーデビューとなった。

この時は綴りを「FLATBACKER」に変えている。

細木数子にでも言われたんでしょうか・・・

さて、バンドは日本人離れした達人的ヴォーカルや過激な歌詞で、

ハードコアファンから絶大な支持を受けるが、

あまりに過激なリリックが一部日本人に受け入れられず、

(「ゲロ吐き出すなら死んだ方がましだぜ」とか。そんなに過激とも思えんが)

それなら、と目指したのが全米デビュー。

彼らがデビューした当時、アメリカはハードロック全盛期。

これだけの実力をもってすれば、うまく波に乗ることができるかもしれない。

バンドは満を持してアメリカへ渡る。

ガンズ・アンド・ローゼスの成功で一大レーベルとなった

ゲフィン・レコードと契約。

プロデューサーに、なんとKISSのジーン・シモンズを迎え、デビューを飾る。

この時、バンド名を「E.Z.O」に改名。

出身地北海道(蝦夷)にちなんでつけたそうだが、

なしてそんなことをしたのか、さっぱりわからない。

とにもかくにも、見事全米デビューを果たしたE.Z.O。

その後、同レーベルのガンズのツアーに同行し、2ndアルバムを出すなど、

それなりの活躍をする。が、

全ての夢を勝ち取ったかに見えた1990年、バンドは解散に至る。

理由は簡単。

これだけ頑張ったにも関わらず、結局日本では受け入れてもらえなかったから。

日本人でありながら1度も母国のステージに上がることなく終わってしまった。

やはり根っこのところは日本人だったということでしょう。

大変皮肉な結果に終わったE.Z.Oもとい、フラットバッカーの人気は未だに健在。

多くのファンが掲示板で吠え、絶盤状態のCDを買い求め、

その早すぎた音楽性に惜しみない拍手を送っている。


は〜ほ | 14:31 | - | - | - | - |
今週のipodな1曲
THE BLACK KEYS 三連発

このカッコ良さに釘づけ・・・


Lonely Boy



Next Girl



Little Black Submarines

- | 13:08 | - | - | - | - |
ショコラータ
かの香織の憂鬱

「ベルカント」とはオペラにおける声楽唱法の一種。

イタリア語で「美しい歌」の意味を持つ。

19世紀前半、ロッシーニのオペラで完成領域に達したとされるこのベルカントが

後世、どういうわけかポップスの発声訓練に取り入れられるようになったという。

本格的な呼吸法を伴う発声法と異なり、胸声のみで表現するため、

技術的自由度が高いからではないか、なあんて言われているせいかもしれない。

オペラマニアにしか通用しない奇特なこの知識が、巷の音楽ファンにまで

浸透するようになったのは、ショコラータの影響から。(ショコタンじゃないよ)

82年、ヴォーカルのかの香織を中心に結成。

ニューウェイヴ全盛の時代に、オペラやジャズ、ファンク、

カンツォーネといった様々なジャンルをミックスした音楽で注目を集める。

かの香織の歌は正にベルカント。ハイヴォイスで囁くような唱法は

当時のお洒落女子たちのハートをぐっと掴んだ。

ついでに、ちょっとヨーロッパチックなファッションも話題となり、

一躍ファッションアイコンに躍り出たのである。(これはホント)

もうよけいな説明が面倒くさいので、今日はこの辺でカンベン。

あとは曲を聴いてください。

っていうか、個人的にはファッショニスタの印象しかないんだよなあ。

かの香織って・・・


さ〜そ | 09:48 | - | - | - | - |
村八分
全てをぶっつぶす

音楽や舞踊のルーツを探ると、過酷な労働や多民族の虐待が元となって

誕生したケースが非常に多いことがわかる。

ロックもまた然り。白人に酷使されていたアメリカ南部の黒人が、日頃のうさを

晴らすため演奏したブルースが始まりと言われている。

そこからチャック・ベリーリトル・リチャードといったアーティストが

生まれ、エルビス・プレスリーというスーパースターを生むに至る。

アメリカで誕生したロックはやがてイギリスへ渡り、抑圧された

労働者階級の若者達が世の中に楯突くための格好の武器となった。

その反骨精神はやがて、ビートルズローリング・ストーンズといった

偉大なバンドを輩出し、パンクロックという新たなジャンルをも開拓する。

それじゃあ、日本はどうっだったのか。

戦中ならともかく、諸外国と違って平和と平等を掲げてきた日本じゃ、

反抗の種などないはず。若いもんなら、そう思うのも無理はなし。

日本におけるロックの歴史は浅い。米・英両国の流れを横目で見つつ、

ようやく第一波がきたのが1960年代後半。

時、第一次安保闘争期。

血の気の多い学生連中がゲバ棒片手に反対運動、その真っ只中。

学問だろうが、カルチャーだろうが、何でも反抗ツールになり得た時代。

グループサウンズ全盛でちょいとぬるま湯状態だった日本に、

ちょうどいい具合にロックが投げ込まれた。

裸のラリーズ頭脳警察が登場。

歌詞といえば、反体制。アンチ政治。反抗の刃として十分すぎるほどの

役割を果たす。

村八分が出てきたのもちょうどこの頃。

バンドはアメリカでぶらぶらと放浪生活を送っていた柴田和志と日米ハーフの

山口富士夫が出会ったことから始まる。

当時、ザ・ダイナマイツというグループサウンズバンドを解散したばかり

だった富士夫は柴田と意気投合(したかどうかは、わからん)。

関西を中心にライブ活動を展開していく。

柴田の美声とはいいがたい、がなるようなヴォーカル、富士夫の抜群の

ギターリフ、「かたわ」「めくら」「びっこ」「はらわたえぐり出す」

といった、今なら放送禁止間違いなしの過激フレーズがんがんの歌詞と

挑発的なサウンドは、瞬く間に若い世代の心を掴む。

公式のデビューはなく、音源はライブ盤のみ。

レーベル倒産から廃盤となったが、86年にCDとして再発。

以来、入手困難な状況が続く。

ライブ、ライブ、ライブを重ね、73年に解散。

79年に再結成するが、本格的な活動なきまま消滅する。

その間あったのは、柴田の精神的不調、富士夫のドラッグ中毒。

ロックの王道みたいな破滅的トラブルを抱えたバンドは

もはや伝説的存在である。

Charを魅了し、RCサクセションボ・ガンボスなど、多くの

アーティストに多大な影響を与えた村八分。

その攻撃的な音楽は21世紀をとうに超えた今でも、

恐ろしく新鮮で恐ろしく突き刺さる。

テレビで愛だの恋だの歌っている連中なんか、ちゃんちゃらおかしいですぜ。

攻撃と反抗を音に乗せ、軽くやってのけた村八分。

政治も闇も文化も、全てをぶっつぶす荒々しさがそこにある。

そのかっこよさ、是非しびれてほしい!


ま〜も | 23:40 | - | - | - | - |

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